自分は何者か?

 

という疑問は

こどもの頃から

うっすら思っていたことでした

 

どうやら周囲は

そういう疑問はあまり抱かない

らしいなぁ

 

少なくとも

言葉にはしないのだなぁ

 

と思ったとき

 

孤独感というか

孤立感というか

宇宙の真空に吸い込まれるような感じ

 

実際吸い込まれたことは現世ではないので

この表現が正しいかも疑問だけれども

 

をじわじわ感じていたような

おそらくそんな感じだった気がします

 

自分のことなのに

「おそらくそんな感じ」

と他人事のような言葉になってしまうのは

 

この感じが言語化できたのが

かなり最近だからです

 

 

 

こどもの頃の

 

世界にただひとり

 

というか

 

自分の住む場所は別にある感じ

 

後者のほうは

うっかり口に出して

母に叱られたけれども

(そりゃそーだ)

 

この感じを

 

言語化したり

絵や音楽などで

表現できていれば

もう少し楽しくわくわくできる

子ども時代だったかもしれないな

 

と思います

 

 

今は日々のイライラもやもやを

なるべく言語化しています

 

紙に書いたり

ボイスレコーダに録音してみたり

のちに処分をすることは前提ですが

 

書いているあいだに

解決策を思いつくときもあるし

かえってムカムカが増すときもある

 

ただ他人に対して

言葉にしずらい想いを

自分にたいして

なんとか言語化することで

 

言語化できずに孤立感を深めていった

「わたし」は癒されて

 

言語化した言葉を聞いている

わたしにとっての理解者の「わたし」が

育っていくのだろう

 

と感じています

 

何者なのか?

 

の結論は出ていませんが

 

何者なのかを問い続け

問い続ける気持ちに対して理解を示す

 

という奇妙な役割があるとしたら

その役割を持っているような気がします

 

 

 

 

 

日々の生活もまた、良い旅でありますように!