子供の頃から学生時代まで、
いや20代後半まで
わたしは努力を褒められたことが
ほとんどありませんでした。
サバイバルのための小ずるさだけがあったらしく、
それを指摘されたことは何度もありましたが。
その指摘に反論することも無かったです。
努力をする才能、
修行する才能が無いのだなぁ
と自分で思っていました。
何をしていても、
何を考えても、
わたしの理解者は
どうせいないから
という絶望もあったのかもしれません。
30代後半から
複数のスピリチュアルメソッドと出会い、
習って、
コンサルテーションやワークショップを
提供する側になったあたりから、
「修行好き」
と言われる機会が増えました。
習ったメソッドを
使ってみたいし、模索したいし、試行錯誤したい。
できることなら朝から晩まで。
素直にそれだけだったのですが、
周囲からは修行好きに見えたのでしょう。
当初は言われるたびに
「別に修行好きじゃないよ~」
と言い返していました。
後になってからは、そうかもね、と否定もしなくなりましたが。
願いの実現のために
「一定期間は何かを制限し、ワークを続ける」
ということが、
自分にもできるのだなぁと実感したこと。
願いが実現しなくても、
少なくとも一定期間は、
自分で決めたルールを守ろうとすること
たったこれだけのことですが、
これができた自分がうれしい、
とは思います。
何しろ
人生の若い頃には努力ができないタイプに見られたし、
自分でもそう思っていたから。
願いの実現、
ときには実験のために
「一定期間は何かを制限し、ワークを続ける」
ことを修行と呼ぶのならば、
修行好きと言えるかもしれません。
わたしにとって修行は、
死と隣り合わせの過酷なもの、
体型や人格をも変えてしまうもの、
という印象が強いので、
まだ修行好きといわれると、
過大評価だなぁと感じてしまうのですが。
日々の生活もまた、良い旅でありますように!