同じ内容で何回目かの記事ではあります

ずいぶん昔の話しになりますが、
友人たちが「開運」したいからと
当時流行していたパワースポットに行ったことがあります。

その場所は、
わたしは有名になる前に訪れたことがあり、
混雑しているのに行ってもねぇ
とテンション低めの参加でした。


ふと、友人たちにきいてみました。

「開運したいって、何をどうしたいの?」

(友人たち)→いや、そう言われても。
よくわからない。あまり考えたことない。

「では、ラッキー!と思える出来事って何?」

(友人たち)→なんだろう。即答できない。宝くじに当たるとか?
そんなことでなくてもいいけど。

「幸運のイメージができないと、開運できないよ」

(友人たち)→・・・・??


友人たちは、おしゃべりしながら話題のスポットを散策したい。

わたしは当時

「運を上げること」「願望実現法」について、
はまっていたので、

「開運いうなら、わざわざスポットに来ておいて、準備がたりない!」
と思っていました。

自分がどのような道に進みたいか、どういう運を持っていたいのか、それについてのサポートが欲しいならば行く場所であり、そうでないなら混雑しているのに行く意味もないだろうと暑苦しく思っていたのですね。

スポットに行ったことより、このテンションの合わなさ加減が、
なつかしい思い出です。


やがて友人は、「そのときは言われてもよくわからなけれども

そのときのわたしの主旨はわかる」と理解を示してくれて

わたしも友人たちが開運ではなく、開運スポットにみんなで行くという行為そのものを楽しみたかったという気持ちもわかるようになりました。

お互いの気持ちは理解できたのですが、最近再び、「開運スポットにわざわざ行くなら、開運にコミットすべき」というわたしの想いと、「友人たちと楽しく開運スポットに行くのは好きだけど、開運そのものはよくわからない」という友人たちの想いそのものは、結局のところ変らないのだなぁと思います。相手の気持ちの理解と、自分の想いは別物なのですね。

当たり前のことではありますが、改めて認識している感じです。


日々の生活もまた、良い旅でありますように