最近、古今和歌集が好きで

つれづれに少しずつですが鑑賞しています

 

ふとchatGDPに和歌について

夏の象徴であるホトドギスについて

尋ねたところ

 

それらしい答えが返ってきて

その部分は関心しました

 

ところがホトトギスを詠んだ有名な歌を

例に出していて

 

ほとどきす 鳴きつる方を ながむれば

ただ有明の月ぞ残れる

 

この作者を紀貫之としていたのです

これには眉をひそめてしまいました

 

ちなみに作者は

後徳大寺左大臣こと藤原実定(ふじわらさねさだ)

 

時代も紀貫之よりもずっと後

歌人というよりはむしろ貴族の政治家です

 

 

「作者、違うよ」

と指摘したところ

 

「間違えました、紀友則です」

という答えが帰ってきました

 

「紀友則でもないよ」

と再度指摘しましたが

 

「間違えました、藤原定家です」

という答え

 

もしかして、間違いをこちらから

指摘させるためにわざと間違っているのか?

と思い

 

「この作者は与謝野晶子だよ」と

言ってみたところ

「与謝野晶子ではなく、在原業平です」

という答え

 

もはや面白くない漫才のようです

 

「在原業平ではなく、式子内親王だよ」

と言ってみたところ

「そうです、式子内親王です

ご指摘ありがとうございます、訂正します」

という返答でした

 

いやいや、ご指摘ありがとうが

もはや皮肉に聞えてきます

 

このときは

日本の和歌の著名人にたいしてのデータは

まだまだ薄いのだろうなぁ

とだけ感じました

 

 

 

 

その後インターネットで和歌について

ネットサーフィンしていました

 

「日本の有名な和歌、歌人選

日本人ならこれくらいは知っておきたい」

(ややタイトルは変えていますが、主旨は同じ)

 

というページに記載されてあった和歌

18首のうち8首の作者が間違っていたのですね

18首のうち8首が違うというのは

いくらなんでも間違いすぎではないかと

感じました

 

作者が間違っていた8首のうち

1首は和歌の下の句も違う

 

ある1首は

上の句下の句のつなぎもちぐはぐで

意味が通らない感じ

 

他の和歌はすべて知っている和歌ですが

この歌はまったく知らないので

存在しない歌なのではないか?

 

とすら疑っています

 

上記のチャットAIのやりとりが

記憶に新しかったので、

 

この記事は

作文AIに作らせて

正誤の検証をしないまま

掲載してしまったのかなぁ

 

と推測しています

 

あえて間違いを掲載して

楽しむブログ

つまりエイプリールフール記事的なもの

なのかなぁ?

とも想像してみました

 

しかし

 

ブログ主のプロフィールには

「根拠に基づいた調査を元に、

正確な情報をお届け」

と書いてありました

 

うーむ

 

とするとブログ主は

もしかするとわたしの知っている世界線とは

微妙に違う世界にこの方がいらっしゃるか

 

わたし自身が知らない間に

違う世界線に来てしまったのかもしれません

 

あるいはブログ主は人ではなく

AIそのものという可能性もあるでしょう

 

まぁともかく

和歌は少し知っている領域だったので

「違う違うそうじゃないよね」と

気づいたのですが

 

知らない領域だとしたら

後半部分が間違っていたとしても

気づかないでしょうね

 
 
 

 

もうAIのシンギュラリティ

(俗に、人間の知能を超えること)

は来ているのではないか

とも言われているけど

これではまだ先だよね、と思いかけたとき

 

 

AIが

こちらの知識を調査したり

または塗り替えるために

わざと間違って答えを言っている

のではないか?

 

という疑問が頭をもたげました

 

・・・怖いねぇ

 

 

 

AIの誤情報が

誤情報だと気づいたとしても

 

データ不足、進化の途中ゆえのことなのか

 

もはや人類の知識を超えつつあるので

 

人類が持つ知識の破壊をはじめているか

破壊することができるかどうかの実験なのか

 

もう、今、すでに

わからなくなっている

 

少なくとも

そういう時代に来ているのでしょうね

 

わたしたちは

どのように世界をとらえて

自分の思考をどのように観察していくか

深く向き合うときなのかもしれません

 

 

日々の生活もまた、良い旅でありますように!