「身体を持って生きるのは、
スピリットにとって『非常事態』ですよ」

数年前に、受け取ったメッセージです。


スピリットにしてみると、
身体の重さ、時間空間の縛り、地球の重力、地域のルール、
それらがすべて非常事態で、フシギ感覚なもの、なのでしょう。

生きるとは、

「そのフシギ感覚を
味わいに来ている」

のかもしれません。

「身体が自分自身」だと思いがちですが、
身体のみならず、

おそらく身体を取り巻いているオーラ領域も
そこにあるだろう、フシギ感覚を味わいたいスピリット感も
また自分なのですね。


ところで2020年の春、
ちょうど今頃に上記の記事を書きました。

あの頃は
コロナウイルス感染拡大防止対策禍
のため、行動制限がありました。

当時はなんとなく書けなかったのですが、
わたしの職場は在宅ができない職場で、
生活インフラの一部のため休業はできませんでした。

2ヶ月間くらいは、1時間短い勤務だったかな?それでも給料は同じでした。
ここだけ切り取ると良い時間です。

さらに出社人数を減らすよう
指導があったということで、
交代で自宅待機の時期もありました。
この自宅待機の日があっても給料は同じ。

この部分だけ切り取ると、
やはりわたしにとっては幸運な時間でした。

しかし世間は大変だったわけで
「わたしってラッキー」
とは言えないし、言おうとは思わない。

でもラッキーだと感じなかった
わけでもないです。

ラッキーだと思ったときの、
後ろめたさというか、
嫌な罪悪感はあるのです。

こういう体験も
スピリットが望んでいる体験の
ひとつなのか?

あまり思いたくない。
あまり思いたくはないけれども、
身体の中にいると感じている自分の思いと、
スピリットの意志といのは、
ときに彼我の差があるので、その可能性もある。

結局のところ、
どちらの気持ちもそのまま感じて、
受取り、味わうこと
それしかできないし、
それで良いのかもしれません。


日々の生活もまた、良い旅でありますように!