渋谷で稽古観でした。
大和田・・・・久しぶりというか何年振り?
迷路のような歩道を通ってふとモアイ像がないことに気づきました・・・
今更なのですが、
最近渋谷は副都心線の渋谷で降りて地下を通って井の頭線に行くだけ・・・
せいぜい、井の頭線の廻りくらいしか歩いていないのです。
剝き出しのコンクリートには大きく「のこし」という文字がありました・・・
新しいビルだらけでもう昔の面影もない・・・・・
剥き出しの鉄骨とコンクリートと新しい鉄骨・・・・
古い鉄骨とコンクリートには何か昔の匂いが残っているような気がします・・・・
246とJRの高架下に居酒屋があったのは何年前になるだろう?
山形屋だったっけ?
もう十年じゃきかないか・・・・
数年前に立見席の座長と明治街道の恵比寿よりの方にあるホテルのロビーで
待ち合わせをしたことがあったのですがその時も、地下から地上に出て、
あまりの変わりように驚いたのですが・・・・
今回もまた同じ・・・・
この工事が終わったらどんな町になっているのか・・・・
きっともう遠い世界になってしまうんだろうなぁ・・・・
昭和はもう遠い・・・・
変わらないのは山家くらいか・・・・・
今回は大和田にある渋谷区総合文化センター
入り口にあるモニュメント・・・・
帰門というのだそうです。
僕は何かの芽生えなのかと思った・・・
国道246を渡ってこちら側に来るのはほんとうに久しぶりなので、
どこを見ても面白い・・・・
こっちの方に渋谷アピアがあったなぁ・・・・
と昔を思い出します・・・・
ここのホールは一度来たことがあります・・・・
何の仕事だったかな・・・・・
2階に飾ってあるプラネタリウムの投影機ドイツ製だそうです。
この投影機は1957年に東急文化会館の8階に造られた、
天文台博物館五島プラネタリウムにあったものだそうです。
2001年に閉館。
投影機は2001年に渋谷区に寄贈されて、
2010年に開館するとここに展示されることになった・・・
因みにこの場所は1997年まで大和田小学校だったそうです。
この投影機のことを少しひも解くと・・・・
東京には戦前1938年に開館したプラネタリウムがあったそうです。
東日天文館といって有楽町にあったそうです。
東京日日新聞、今の毎日新聞の会館内にあったそうです。
戦時下でも関係者が尽力して営業が続けられていたそうです。
それが1945年空襲で焼失・・・・
戦後・・・・
1953年にプラネタリウム設立促進懇話会ができ、設立嘆願の手紙を五島にだし、
1955年に東急文化会館の建設が開始されるなかでプラネタリウム建設を決断・・・
そんな物語がこのプラネタリウム投影機にはあったのです・・・・
渋谷の工事現場はこの街が巨大なビル街になっていくことを予感させられます。
もう通り過ぎるだけの街になってしまうのかなぁ・・・・
それでも昔の断片がそこここに残っている・・・・
いつか消えていってしまうものなんだろうけど・・・
明日もここへ行きます。
できれば昔馴染んだ面影を見つけたいものです。
明日は山家に行ってみようかなぁ・・・・


