ラジオから聞こえてきたニュースは、戦争の話・・・・・
昨日も今日も戦争の話・・・・
対立の話・・・・
武器で一時しのぎをしたところで解決には至らない・・・・
そんなことはみんなわかっていると言いながら、それでも武器を持つ・・・
言葉はお互いを理解しあうためにあるはずなのに、
言葉が対立を生み深めている・・・・・
言葉は人を繋ぐものでもあるけれども、断絶させるものにもなる・・・・
いつの時代でもそうなのかもしれない・・・・
こうしている間にも、どこかで苦しんでいる人がいる・・・
昨日は稽古でした。
いつまで続けられるのかわからないけれども、
今は次の学校公演のための稽古です。
仕事があることのラッキー・・・
僅かな仕事のために、膨大な時間を稽古や準備に費やしています。
決して効率的じゃない・・・・
トータルすると・・・・
企業の論理から言ったら、これを仕事として認めてもらえるか不明です・・・
でも、僕らにとって仕事です。
この仕事は、少しでもよい舞台を創り出すことが目的です。
そのために、努力を重ねています。
稽古ストレッチから・・・・
芝居の稽古なら芝居だけをやればいいと思うかもしれません。
実際、ストレッチなどは、各自がやっておくものというのが、
一般的な稽古かもしれません。
でも、貴重な時間を使って、身体をほぐすというのは、必要なことだと思うのです。
それから、昨日は理事会での話を伝えました。
昨日もブログに書いた、能登の現状についての報告の話です。
そうして僕らにできることを考えてもらう・・・・
社会がなすべきこと・・・・
僕らができること・・・・
そして、今実際に、活動している人たちがいるということ・・・・
それも身近な人で頑張っている人たちがいる・・・・
僕らにだってやれることがありそうだ・・・
考えてみよう・・・・
一歩を踏み出すのはなかなか大変なことだけど、
一歩踏み出したら、歩き出せる気がする・・・・
僕らはこの世界に生きている・・・・
この世界を形作っているひとつの要素であることは間違いない・・・・
ほんとうに小さな小さな存在かもしれないけれども確かに存在している。
僕らが呼吸しているこの空気は世界と繋がっている・・・・・
そして稽古。
まずは音楽から・・・・
学校公演のセロ弾きのゴーシュは、音源も使いますが、
ゴーシュはセロを生演奏して、そこに、役者が他の楽器で絡んだりします。
セロ以外の楽器は、ゴーシュの心の中に響いてくる音という設定です。
ゴーシュが、
ネコと関わり、カッコウと関わり、タヌキと関わり、ネズミの親子と関わる中で、
だんだんと心を開いていく・・・・
音楽を通して世界繋がっていく・・・・・
ゴーシュは、遠い昔に宮澤賢治が創造した人物だけれども、
昔のお話の世界に生きているのではなく、
今、この瞬間を生きているのです。
今のこの空気を呼吸して、
今の世界を身体全体で感じて生きている・・・・・
いつもの道をひとつ違う路地に迷い込んだら、
そこに生きている世界・・・・
そんな芝居の世界は、今の世界と繋がっている・・・・
僕らは、今を生きる僕らを土台として芝居を創らなければ・・・・
でも宮澤賢治の創り出した世界は、とても普遍的で、
やればやるほど、深い世界です。
だから、面白い。
だから稽古は際限なく続いているのだろう・・・・
いや、どんな芝居だって、突き詰めようと思うと際限がない・・・・
芝居の世界に終わりはない気がします・・・・
舞台は一期一会で、その瞬間のものです。
でも終わった瞬間から新しく始まる世界でもあるのです。
こうして生きていられることは、運がいいことなのかもしれない・・・・
でもそれ以外はすべて犠牲にしているとも言える・・・・
人はそれぞれの生きている目的があったり、求める価値があったり・・・
僕の場合は、こうして芝居をして、考えて、生きることなんだろう・・・
それが、なんとかできている・・・・
それだけでも奇蹟で、幸運なんだと思う・・・・
この奇蹟、幸運をもたらしてくれているこの世界に、
自分は芝居を通して何ができるのかを考えなければならない・・・・
今日は28日の照明仕事の準備をしなければ、
夜は10月の照明仕事の稽古観・・・・
こんな活動をしている人たちがいます。
応援してもらえたらと思います。
とっても大事な活動だと思うのです。