二日間照明仕事でした。
自分のプラン仕事ではなく手伝いです。仕込みと本番中はステージにおりました。
今日は明日の稽古のための積み込み、それからオペラの稽古観、
それから朗読劇の稽古・・・・・
先日の稽古は8月15日でした。玉音放送の流れた日・・・・
いわゆる終戦記念日・・・・
ところが、若いメンバーに何の日と聞いてみたら、
「敬老の日?」
という答えが・・・・・
知らないのです・・・・・
学校でも教わったか記憶がない・・・・・
ちゃんと教育を受け、大学にまで入っているのに知らない・・・・・
情報は溢れていると勝手に思っているのですが、
伝わっていない・・・・
なぜ今がこうなっているのか、歴史を知らなければわからないのに。
今の生活の成り立ちを考えたらおのずと歴史に興味が湧くと思うのは、
勝手な思い込みに過ぎないのだろうか?
ともかく、千鳥ヶ淵の話やら、原爆の話やら、戦争の話を稽古の合間にしました。
これまでも時々話しているのです・・・・・
沖縄での集団的戦闘の終結した日とか、
ヒロシマ、ナガサキに原爆の落とされた日とか・・・・
そして今・・・・ウクライナで続く戦争、ガザでの虐殺・・・・・
話は繋がっていきます。
巡り巡って、今稽古している「銀河鉄道の夜」とも繋がっています。
賢治は「いわゆるひとつの修羅なのだ。」
と言う言葉を残していますが、
それを僕らは今、
現実がどんなに修羅であろうとも、理想を持って生きなければならない。
修羅を肯定するのではなく、修羅だと理解したうえで
修羅ではない世界を築く努力を続けなければならないという意味だと、
考えるようになりました。
これは銀河鉄道の夜を稽古している中で感じたことです。
「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
とも賢治は書いています。
昔、先輩がそんなことできっこないと言いましたが、
その時はただ聞いているだけでした。
今はこう思うのです。
なるほど、現実は難しいかもしれない。だけれども、
少しでもそうなるように生きることが大事なんじゃなかろうか。
理想を心に持ち続け、それを道筋にして歩いていく・・・・・
「・・・・・
日本国民は、恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、
専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
・・・・・」
書いていたら日本国憲法の前文が頭に浮かびました。
その中の一部を書いてみました。
幻想第四次の銀河鉄道の旅は僕らの心に必要な旅なのです。
それは小さな舞台の中の幻想的な物語ではないのです。
ひとりひとりがかけがえのない「命」を今持っている
奇蹟と言ってもいい「命」を持っている
どう生きるかはあなた次第・・・・
この世界が修羅だとしたら、
理想を持ってそれを変えるように生きて行く努力をするのがいい。
そんな言葉が思い浮かびます。