エピローグを読んでいたら、

涙が静かに流れました。

 

ドストエフスキーの「罪と罰」です。

とても面白い本でした。

刑事コロンボのような心理劇・・・・推理ドラマのようです。

ラスコーリニコフの言動と行動が、会話とその時の心情が丁寧に描かれていて、

思考が相手の言葉によって変化していく様子も読者にわかるように、

とても丁寧に・・・丁寧というより偏執狂のように書かれているように感じました。

 

丁寧に読みたかったのですが、ともかく最後まで読んで、

照明の仕込み図を書かなければならない・・・・・

この小説の中からつかみだしたいイメージをどこにしたいのか・・・・

そのために早く読まなければと焦ってもいたのです。

 

ラスコーリニコフの行動・・・・思考・・・・

彼と対峙する、

ポルフィーリイの言動(ラスコーリニコフを追い詰める予審判事)

スヴィドリガイロフの言動と行動・・・・

(彼らは決して単純に善悪でわけることができない生々しい人間です。)

 

そして、ソーニャ・・・

(マルメラードフの娘で父と父ののち添えの母と兄弟のために娼婦になっている)

ドゥーニャ(ラスコーリニコフの妹)・・・・

この二人はそれぞれ他人を思いやる心を持っています。

自己犠牲をいとわない・・・・・

 

自己犠牲と愛・・・・

伝えたいもの・・・・

 

そう、宮澤賢治に通じる・・・・・

話がそれそうなので戻します。

 

ラスコーリニコフは自首してもなお、

ほんとうに大切なことがなにかわかっていませんでした。

自分の思想だけで作り上げた世界の中に生きていたと言ってもいいかもしれません。

(すみません、深く考察したわけではありません。感覚的なところがあります)

自首して裁判にかけられ、

シベリア送りになる・・・・・

 

エピローグになっても、ソーニャが献身的ラスコーリニコフに向き合っても、

ラスコーリニコフの心はなかなか変わりませんでした。

監獄の中でラスコーリニコフは他の囚人とも対立してしまいます。

それに対してソーニャは他の囚人たちのおかあさんのような存在になっていきます。

 

「愛のない理性」と「愛」・・・・・

 

それが、エピローグの中で突然ラスコーリニコフの心を変えるのです。

それは何気ない風景の中で起きました。

そこに至るまでの長い時間の積み重ねが、

ある瞬間に、落ち着いた風景の中で起きたのです。

なんて素敵な瞬間!

 

リアリストなんだろうけれどもなんてロマンチックなんだろう。

試練を経て心が大きく変わる・・・・

劇的な瞬間でした。

ラスコーリニコフの思考は、ソーニャによって変わりました。

身体の中にゆっくりと浸透して、

そして最後にハタと気づいたのです。

 

 

この本の中では「生活」という言葉が後半でてきます。

ラスコーリニコフはほんとうの「生活」をしていない・・・・・

「生活」を知らない・・・・・

それがエピローグの最後の方でほんとうの「愛」に気づき、

「生活」に気づきはじめる・・・・

 

ところでこの「生活」という言葉はとても重要なのです。

今「銀河鉄道の夜」と「よだかの星」の稽古をしています。

銀河鉄道の夜は、死にゆく人を乗せた幻想第四次の鉄道で、

よだかは鳥です。

寓話です。

登場人物は、切り取られた存在と言えます。

でも彼らの背景には彼らの「生活」があるのです。

それをとらえなければならないのです。

 

ドストエフスキーの書いた文章は(翻訳者の言葉でもあるかもしれませんが)

とても考えさせてくれるものです。

示唆に富んでいます。

そしてこの本にあるのは僕には希望でした。

リアルに人間を見つめて、その先に絶望ではなく希望を見つけている・・・・

それは僕の願望で勝手な読み方なのかもしれませんがそう思えるのです。

 

「罪と罰」もう一度読み返してみる価値がある本です・・・

 

今月5月31日に下北沢タウンホールで、「いとうせいこう×奥泉光 文芸漫談」

で「罪と罰」を取り上げます。

二人はどんな話を展開してくれるのか・・・・・

とっても楽しみです。