「100回負けても最後の1回に勝てばいい。」
挑戦してうまくいかないときにいつも思い出す言葉です。
劉邦のことです。
劉邦というのは古代中国の漢という国を作った、
項羽と劉邦の劉邦。
二人は秦帝国を滅ぼしたあと覇権を争うことになります。
劉邦は項羽にずっと勝てない。
項羽は圧倒的に強い。
劉邦は戦えば必ずといっていいほど項羽に負けます。
でもその劉邦が最後には勝ことになります。
そして漢という国を作り、皇帝になるのです。
項羽は貴族の出で若くしてその名を知られる存在、
片や劉邦は庶民の出で中年になるまでパッとしない男。
その中年男が、皇帝になってしまう・・・・
100回負けても、息の根を止められない。
そうして最後には勝ってしまう。
普通は1回でも負けてしまえばもう終わりになってしまうのに、
再起できて挑戦できるということはすごいことです。
100回再起できるなんてほんとうにすごいことです。
そのことだけでもうらやましい。
もちろん、彼には張良や簫何、韓信といった才のある人たちや優秀な部下、
仲間がいて彼を支えていたということが大きいです。
理想は高く大きいですが現実は・・・・
世間の評価はどうであれ、求める理想にはなかなか辿りつけないものです。
毎回今度こそと思いながら、あたって砕けています。
でも再起してきました。
砕けても光がいつも微かに差し込んでいるのです。
その微かな光を見失わずにいることが大事なんだと思うのです。
うまくいくなんてことはそうそうないことです。
自分にそれほどの才があるわけじゃないことももうわかってます。
(といって全く才がないというわけでもありません。
こうして続けることができているのですから。)
あきらめない。
何度でもできる限り挑戦すればいいのです。
ダメなところはよく見えるものです。
反省するべきことは反省すればいいのです。
でも全部がダメなんじゃない。
また仕切り直して挑戦すればいい。
なるほど時間は有限で、
いつまでも挑戦しつづけるなんてことはできないかもしれない。
だから、挑戦できるなら続ける。
諦めない。
ダメだなんて思わない。
ひとつの公演が終わればいろいろな反省がおきます。
次はこうしよう、ああしよう・・・・
やっぱりそれは難しいということもたくさんあります。
無理なこともたくさんあります。
できる範囲できちんとやるというのも意味があることですが、
失敗してもいいから挑戦してみることも大事なことだと思うのです。
観客のみなさんには壮大な失敗も含めて人のギリギリを楽しんでもらいたい。
でも失敗は落ち込みます。
がっかりします。
恥をかかないために無難にやろうと思ってしまったりします。
失敗すればもうお客さんは次に来てくれないかもしれません。
でも守りに入らない。
守りに入った芝居はつまらない。
できあがった芝居はつまらない。
だから失敗しないように準備しなければと頑張ります。
でもそんなにうまくはいかないもの。
思ったようにいかないもの。
つまずき、転ぶもの。
転んだら起き上がればいい。
泥だらけだって、それを見て笑う人がいたってかまやしない。
キャパシティを超えてしまうと確かに機能不全となり、
「あらら」と目も当てられないことになることは多々あります。
どんなに頑張ってもそれで人の目に映るのはほんの僅かです。
その中に、うまいとか下手とかを超えた何かを伝えられるかが問題なのです。
今次の準備に入っていますが停滞しています。
再起するのはなかなか時間のかかるものです。
落ち着くといろいろな失敗が頭に蘇るものですが、
失敗に騙されてはいけない。
ネガティブに騙されてはいけない。
ポジティブになって、
失敗は失敗として受け入れて、次に立ち向かわなければなりません。
高評価をしてくれる人もいます。
低評価ももちろんあります。
できたこと、できなかったこと。
すべて有りのままに受け止めて、
それでもネガティブにならない。
失敗を繰り返していても、
やはり挑戦できることは素晴らしいことで、
生きていられることは素晴らしいことなのですから。
これまでとは違うこと、新しいことに、
挑戦して行こう。
与えられた時間には限りがあるのです。
自分に与えられた、僅かな時間。
無駄にしてしまっている時間も多いと思うのですが、
その時間ももた蓄積です。
明日へのエネルギーです。
人の評価はどうでもよく、
自分の考える理想の舞台を創れるように。
