藤田順弘さんが、交通事故で亡くなられました。

11月9日の夜のことです。

 

もうどれくらいになるでしょうか。

順弘さんの舞台を様々に手伝ってきました。

 

照明、受付、チラシの印刷、プログラムの打ち出し・・・・

 

稽古にも何ができるわけではないけれども呼ばれて行きました・・・・

 

どこまでも歌に真剣で、舞台に真剣で、常に今を感じながら歌い続けていた順弘さん。

 

コロナ騒動が始まった時、最初はそのままフェードアウトしようかと考えていた順弘さん。

その年の夏の終わりだったかな、

順弘さんから手紙が届きました。

 

そこには歌手として生きてきた自分の仕事は、こんな時だからこそ歌い続けることだ。

舞台から去ろうなんてそんな考えは間違いだったという自戒を込めた、

活動宣言でした。

順弘さんは、自分は楽天家だから、みんなを勇気づけるために歌を歌い続けるのだと

その手紙には書いてありました。

 

歌い続けることが、歌と応援してくれた皆さんへの恩返しなのだ。

 

そう書いてあったのです。

そうしてそれから、以前にもまして精力的に歌い続けました。

 

80を過ぎても新曲に取り組んでいました。

常に社会を考えて、世の中を見つめながら、

自分の思いをしっかりと胸に抱いて、

伝える言葉を届けられるように、

感じられるように。

 

ほとばしる思いは、自分の心の中で熟成させて、

ぎゅっと抑え込んで、言葉を伝える。

 

伝える言葉の中に沁み込んだ思いが聴く人の心に触れる・・・・・

そんな歌の世界でした。

 

「80歳を過ぎてやっと少し歌がわかって来たよ。」

 

「若い時の歌を聴くとどうしてそんな歌い方をするんだろうと思うんだよ。

そんなに歌い上げなくていいのに、声に頼らなくていいのに・・・」

 

まだまだ歌い続けるはずだった順弘さん。

病気で歌えなくなるまで、ずっと歌い続けるはずだった順弘さん。

 

きっと、今は赤木さんと会い、土岐さんと会い、ビールを飲み、ワインを飲んで、

そうして歌を歌っていることでしょう。

 

宇野さんからyutubeにこれまで出て来たことのない順弘さんの歌が出てきた、

順弘さんからのメッセージだと言ってきました。

 

去年ぱれっとのYouTubeで公開した「あの人に届けば」という曲でした。

 

 

 

エディット・ピアフが亡くなった時に友人が作った歌・・・・・

確かそんなことを、順弘さんから聞いたことがある優しい歌です。

 

「あの人はもう 旅立つけれど

私のこの歌を この歌を聴けば

きっとあの人は 訪ねてくれるでしょう

窓辺に身を寄せて 耳を澄ますでしょう

窓辺に 身を寄せて 静かに

 

私のこの部屋を この部屋を見れば

きっとあの人は わかってくれるでしょう

 

・・・・・・

 

慰めてくれる

頬をよせて 抱きしめてくれる

 

・・・・・

 

たとえ 歌が届かなくても

ピアノに合わせて歌い続ける

きっと あの人が 遠いところで 

私に あわせて 歌ってくれるでしょう

旅立つ前に ひそかに  」

 

歌うことは生きること。

順弘さんが宇野さんに

 

「 僕は旅立つけどあなたはその場所で精一杯生き続けてね。じゃあね。 」

 

そう言ってくれているように感じました。

僕らは舞台で芝居で僕らの歌を歌い続けますね、順弘さん。

 

 

新宿Kuwaで今年宇野さんが撮った順弘さん。ピアノはにしかわまことさん。