日本でも恐らく五指に入るメジャー路線。東京のやや西よりの中心を走る環状線。あまりにも多くの人が利用するため各駅も知名度が高く、これを交互に思い出していく山手線ゲームなる余興すら生み出された。
この山手線だが、昔は全面黄緑一色の車両だった。もちろん僕が物心ついた時にはすでに今の銀に黄緑ラインの車両だったが、昔の山手線が一般的だった父は昔の山手線の玩具を僕に買ってくれた。幼い僕は「なぜ我が家の山手線は川越線なのだろうか」と疑問を感じていた。昔の山手線は今の川越線がお下がりで仕様していたのだ。
硫黄島からの手紙
/ LETTERS FROM IWO JIMA
(2006 /監督 クリント・イーストウッド /出演 渡辺謙 二宮和也 他)
観終わってエンドロール中にふと、この映画をブログに書くのはやめておこうかなと思いました。テーマが非常に重く、とてもじゃないけれど面白いからお薦めですよなどと言って扱えるものではないと感じたからです。こういう映画は下手に薦められない。心に残るものが重いので日常生活に差し障るかもしれない。皆さん自分の責任で観に行ってくださいと言うしかない。
でも映画なんていつも自分の勝手で観にいくのだし、とも思う。このレビューを読んで行かないことを決心をする人もいるかもしれない。げ、やめようかな。ただもしかすると頭から戦争映画というだけで観ることはないと心に決めている人なんかがこのブログを読んだりしてくれてるかもしれなくて、そういう方々がもう一度この映画を観ようかどうか考えてみようかな、なんて思えるものが書けたらいいな。などと思って書いてみます。
『硫黄島からの手紙』はたしかに戦争映画ですが、これがこれまでの戦争映画とはだいぶイメージの違うものでした。まず劇中の登場人物達の会話が非常に現代的。主人公を含め劇中登場する若い兵隊達は「まじさぁ~チェッ」「なんだよーブツクサ」というような現代の若者口調なので驚きました。苦しい思いを胸に秘めて上官の指示に黙って従う旧来の日本兵のイメージを持って構えていると「あれ?」といった肩透し。言葉使いだけではありません。その仕草、気の落し方、ふざけ方までまるで現代の若者。いいのかなぁ。しかしこれが妙なもので、僕はたぶんかつてないくらい登場人物達の立場に自分を置き換えて観る事ができました。
しかし段々とこれは単に現代風に歩み寄って作られているということではないということに気付きます。映画の中の若者達はたしかに1945年の若者達なのです。僕は逆に自身が今まで持っていた旧来の日本兵士のイメージを疑い始めました。むしろこの映画に描かれているように兵士達それぞれが個性を滲ませ、国の正義や家族への想いの中で(こう言って失礼でなければ)生き生きと葛藤していたんじゃないかと感じました。そんな彼らが「天皇陛下万歳」と叫んだ時それは僕らとは違う価値観で生きる昔の他人ではなく、僕らに血を残してくれた愛しき父親達に思え純粋に感動しました。
イーストウッド監督は日本兵たちの死を覚悟して戦うという気持ちを理解しようとだいぶ苦心されたそうです。そうして作られたこの人間ドラマは非常に客観的な視点を交えて構成されており、物語に確かな説得力があります。
たぶん硫黄島での出来事をリアルな再現映像にしたらもっとビシッビシッとした兵隊たちが映されるんじゃないかと思うのですが、それではその人の内面を窺い知ることはできません。この映画で描かれている人物たちの生き生きとした言葉遣いや仕草は、監督が死んでいった兵隊たちの気持ちを理解するために内面的な動きや決意を想像して意図的に脚色したものだと思います。そういう意味で監督の意図はとても明快であったと思います。うん、映画ですこれは。
日本の役者がほとんどのこの映画。過去の回想や困窮した島での生活を観ていたときは日本映画を観ているような感覚でしたが(それでもかなり法外なお金が掛けられていたのかもしれませんが。そこまではちょっとわからないのでした)、ひとたび戦争が始まるともうハリウッド映画でした。やはりスケールは違いますね。
映像の質感にかけるこだわりもすばらしかったです。ここまで書いて実は『父親たちの星条旗』をまだ観ていない僕。そういえば『硫黄島からの手紙』も“父親”の映画でした。絶対あっちも観よう。
戦争は嫌です。