ドーナツに関わる 愛と愛情について








「愛と愛情は違うよ」
私はずっと そう言ってきた。
誰に何を言われても。
それは変えられない。


祖母はすぐ不機嫌になる性格で、
「こんなはずじゃなかったわ」
これが口癖であった。
自分の頭の中に存在する完成系が
いつの間にかズレていく。
それは誰の責任なのか、
きっと誰の責任でもないのだろうけど。

祖父はよくドーナツを作ってくれた。
祖母は不機嫌ながらも
「良かったわね」と微笑んでくれた。
そのドーナツはお砂糖がたっぷりとかかっていて
ジュワッと モチっともしていて
当然の通り 物凄く美味しかった。
「お母さんには内緒だぞ?」
そう言いながら ドーナツの上にアイスクリームをのせてもくれて。
まぁ私は 母が仕事から帰宅してすぐに
「あのね!」と報告してしまうのだが。
祖父の「内緒だぞ?」は悪意ではなく、
まだ幼い私に合わせて 敢えて いたずらっぽくしてくれたんだと思うと、「祖父」という存在に
無性に会いたくなってしまう。
もう、祖父は他界して この世にいない。
「期限付き」という命は どうやったって刹那なのだと、実感させられるのだ。



母はいつも仕事をしていて、
家にいるのはたった深夜だけだった。
祖父母の家に預けられた私は
「行かないで」と泣く時もあれば
「行ってらっしゃい」と母を見向きもしないで平然としている時と 様々だった。
それもこれも ドーナツがきっかけで。
けれど
祖父が出掛けてしまえば ドーナツは無い。
1度だけ 祖母が「作ってみるわね」と
ドーナツを作ってくれた時があった。
結果は失敗。ベタベタのギトギト。
そして「こんなはずじゃなかったわ」
そう言いながら 不機嫌になっていく。
でも、それは決して我儘なんかじゃなくて
「孫の私に満足させてあげられなかった」
という気持ちがゆえの言葉なのだと知ったのは
まだまだ先なのでした。




私の中での「愛と愛情の違い」それは
ドーナツで表せられるような気がしている。

祖父の作ってくれるドーナツは
まるで「愛情」そのものだと思っていた。

そして

不機嫌ながらも 私の為 と考えながら
ドーナツを作ってくれた祖母については
まるで「愛」そのものだと思っていた。


幼い頃の私はきっと愛について考え過ぎたのだ。
理屈っぽいし 頑固だ。
でも やっぱり考えつくのは


ドーナツは愛と愛情の形。


私は30歳になったが
未だにドーナツを見ると 祖父母を想ってしまう。


自分では作れない
あの美味しいドーナツ。
あの美味しくはないが嬉しかったドーナツ。




もう一度、食べたい。


そして 一度でいいから


また、会いたいな。











~中原はぐ~







~はぐの言葉~

「ドーナツの起源。」

祖父母が作ってくれたドーナツ。

それは 期限付き の「愛と愛情」だった。


今、実際目の前にドーナツがありまして、

「あ、ドーナツの詩を作ろうニコニコ

そう思ったので 作りました〜。










~はぐからの感謝~

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今後ともよろしゅうですピンク薔薇