愛情乞食とシュジュギュイ(SYZYGY)という2つのタイプの人間が存在するという考え方がある。ユング心理学で多くの著作のある秋山さと子さんの本で読んで非常に印象的だったものだ。
特徴は大まかに言うと、
<愛情乞食>
・ 集団行動が好き(群れたがる、仲間とつるみたがる)
・ 社交性がある
・ 情熱的(熱血、体育会系)
・ 他人のために行動する(人の世話をやきたがる)
<シュジュギュイ>
・ 基本的にひとりが好き
・ 積極的には交流しようとしない
・ 静かで穏やか、優しい
・ 行動が基本的には自己完結型
といったところだろうか。
たとえば旅行となると、シュジュギュイの場合は静かな所への一人旅を楽しみたいという事なのだが、これが愛情乞食になるとみんなでワイワイ楽しく旅行するということになる。
シュジュギュイが「旅行でもしたいな」とぼそっとつぶやいたとすると、すぐに愛情乞食が「いいねえ、どこに行く?何人で行こうか」と話に乗ってくる。大勢でワイワイやるのが苦手なシュジュギュイはあわてて「いや、ちょっとそう思っただけで…」と弁解するが、愛情乞食は構わず「いいアイデアだからみんなで行こう」とどんどん押してくる。
シュジュギュイは相手に迫ってこられると本能的に逃げたくなるので愛情乞食を避けようとするのだが、愛情乞食は「おまえ、まさかひとりだけで行こうっていうんじゃないだろうね」と食い下がってくる。最終的にシュジュギュイは逃げ出すか、それともいやいやみんなと一緒に旅行に行く羽目になるかというところだろう。
なかなかこの両者がお互いの違いを理解し合うのは難しい。
愛情乞食にはシュジュギュイのようにひとりが好きという性質がそもそも理解できない。ひとりでいるのを不憫に思って仲間に入れてやろうと心からの親切で接近してくる。愛情乞食はそういう意味で、相手の気持ちを敏感に察する(この場合は相手の気持ちを読み違えているのだが)ことができる社会性があり、行動に移す積極性もある。
シュジュギュイもひとりが好きと言っても決して人が嫌いなわけではない。自分のテリトリー(主に心理的なもの)が侵されない範囲であれば、人とも親しく付き合うし優しさも発揮する。ただ、度を越えて人との距離が近づくと警戒心が働いて離れてしまうのだ。この距離の基準もシュジュギュイの思うそれと、愛情乞食の考えるものは異なっているだろう。
愛情乞食から見るとシュジュギュイは「なんて付き合いの悪いやつだ」ということになるし、シュジュギュイから見た愛情乞食は「とにかく押し付けがましくて苦手」ということになる。社会的に成功するのは愛情乞食の方だろう。
すべてのひとがこのどちらかに分類されることはないと思うが、自分自身は明らかにシュジュギュイタイプであると自覚している。あまりに距離を縮めて来られると逃げたくなるし、自己完結型という事でなかなかまわりの助けを借りることができない。そういった点でシュジュギュイのほうが色々と損することが多いような気もしている。
決して人が嫌いなわけではないし付き合いもするのだが、どこか一定の距離を置きたい気持ちも強い。たとえば友だちと24時間寝るのも遊ぶのも飯を食うのも一緒というのはちょっと耐えられない。昔は、なぜ自分だけそうなのだろうと思ったこともあったが、心理学上でそういう人間のタイプとして分類されていることを知ってどこかほっとしたものである。
どちらのタイプも典型的な人というのはそう多くないように思うが、その中でもシュジュギュイは少ないと感じている。周囲に自分と同じタイプの人間は数えるほどしかいない。みんな同じように対人関係(距離のとり方)で苦労することがあるようである。
もしあなたがシュジュギュイタイプの人間で、自分がそうであることを気に病んでいるのであれば、そういうタイプに生まれついたのだからそのままでいいのだと考えてみるのもひとつの手だろう。
特徴は大まかに言うと、
<愛情乞食>
・ 集団行動が好き(群れたがる、仲間とつるみたがる)
・ 社交性がある
・ 情熱的(熱血、体育会系)
・ 他人のために行動する(人の世話をやきたがる)
<シュジュギュイ>
・ 基本的にひとりが好き
・ 積極的には交流しようとしない
・ 静かで穏やか、優しい
・ 行動が基本的には自己完結型
といったところだろうか。
たとえば旅行となると、シュジュギュイの場合は静かな所への一人旅を楽しみたいという事なのだが、これが愛情乞食になるとみんなでワイワイ楽しく旅行するということになる。
シュジュギュイが「旅行でもしたいな」とぼそっとつぶやいたとすると、すぐに愛情乞食が「いいねえ、どこに行く?何人で行こうか」と話に乗ってくる。大勢でワイワイやるのが苦手なシュジュギュイはあわてて「いや、ちょっとそう思っただけで…」と弁解するが、愛情乞食は構わず「いいアイデアだからみんなで行こう」とどんどん押してくる。
シュジュギュイは相手に迫ってこられると本能的に逃げたくなるので愛情乞食を避けようとするのだが、愛情乞食は「おまえ、まさかひとりだけで行こうっていうんじゃないだろうね」と食い下がってくる。最終的にシュジュギュイは逃げ出すか、それともいやいやみんなと一緒に旅行に行く羽目になるかというところだろう。
なかなかこの両者がお互いの違いを理解し合うのは難しい。
愛情乞食にはシュジュギュイのようにひとりが好きという性質がそもそも理解できない。ひとりでいるのを不憫に思って仲間に入れてやろうと心からの親切で接近してくる。愛情乞食はそういう意味で、相手の気持ちを敏感に察する(この場合は相手の気持ちを読み違えているのだが)ことができる社会性があり、行動に移す積極性もある。
シュジュギュイもひとりが好きと言っても決して人が嫌いなわけではない。自分のテリトリー(主に心理的なもの)が侵されない範囲であれば、人とも親しく付き合うし優しさも発揮する。ただ、度を越えて人との距離が近づくと警戒心が働いて離れてしまうのだ。この距離の基準もシュジュギュイの思うそれと、愛情乞食の考えるものは異なっているだろう。
愛情乞食から見るとシュジュギュイは「なんて付き合いの悪いやつだ」ということになるし、シュジュギュイから見た愛情乞食は「とにかく押し付けがましくて苦手」ということになる。社会的に成功するのは愛情乞食の方だろう。
すべてのひとがこのどちらかに分類されることはないと思うが、自分自身は明らかにシュジュギュイタイプであると自覚している。あまりに距離を縮めて来られると逃げたくなるし、自己完結型という事でなかなかまわりの助けを借りることができない。そういった点でシュジュギュイのほうが色々と損することが多いような気もしている。
決して人が嫌いなわけではないし付き合いもするのだが、どこか一定の距離を置きたい気持ちも強い。たとえば友だちと24時間寝るのも遊ぶのも飯を食うのも一緒というのはちょっと耐えられない。昔は、なぜ自分だけそうなのだろうと思ったこともあったが、心理学上でそういう人間のタイプとして分類されていることを知ってどこかほっとしたものである。
どちらのタイプも典型的な人というのはそう多くないように思うが、その中でもシュジュギュイは少ないと感じている。周囲に自分と同じタイプの人間は数えるほどしかいない。みんな同じように対人関係(距離のとり方)で苦労することがあるようである。
もしあなたがシュジュギュイタイプの人間で、自分がそうであることを気に病んでいるのであれば、そういうタイプに生まれついたのだからそのままでいいのだと考えてみるのもひとつの手だろう。