安東金氏(あんとうきんし)は、朝鮮の氏族の一つ。
金玉均は親戚だが朝鮮半島の超瀬能超末期では
革命家であり当時の政権から言うと反逆者である。
最後は同胞によって暗殺され、朝鮮では国家反逆罪にて
裁かれその最後は悲惨であった。
当時の日本帝国(まだ弱い帝国期=中国では清国末期)
での支援者は多く、朝鮮半島の革新を国家内で唯一なそうとした人物でもあった。
だが歴史は残虐でそれを許さない。
それが現実である真実である。
きん‐ぎょくきん【金玉均】
[1851〜1894]朝鮮李朝末期の政治家。 開化派(独立党)の指導者。 公州(忠清南道)の人。 朝鮮改革と清国の影響力の排除をめざし、1884年 甲申 こうしん 事変を起こしたが、失敗して日本に亡命。
金玉均の生涯
李朝後期時代に、日本を範に朝鮮の近代化を図ろうとした金玉均(キムオクキュン)は、一八五一年二月二十三日、忠清南道公州市で生まれる。本貫(始祖の出身地)は安東で、安東金氏は名門の家柄であったが、金玉均の生家の生活は楽ではなかった。
二十二歳で科挙に合格するという秀才で、書、詩、絵画、音楽にも優れた才能を持ち、中堅官僚のホープであった。そして世界の情勢を学び、西欧の科学技術や民主的な政治を導入していく開化思想を抱いた。
当時の朝鮮は、李氏朝鮮王朝第二十六代王・高宗(コジョン)の父・大院君と王妃・閔妃(ミンビ)との権力闘争が繰り返されていたが、いずれにしても専制政治が行われ、清国の朝貢国の立場にあって、鎖国攘夷を行うという旧態依然としたものであった。そこで彼は、明治維新を範として、日本の協力によって朝鮮を近代化し、真の独立を目指そうと志した。