母親が帰ってからも私と妻は気がかりだった。

「本体に戻って、きちんと息子さんと向き合えたかな?」

と話していたら、

「あっ  お母さんとスーツの男の人が来てるよ」と妻が気づいた。


「この間のお母さんと息子さんだって」

「先日はありがとうございました」

「大変厚かましいのですが、息子の話を聞いてやってはもらえないでしょうか?」

「もちろんいいですよ。」と妻が答えた。

「よく来たね。どうしてるかと思っていたよ。どうぞ 入って」と招きいれた。

母親は「私はここで失礼します。息子をどうぞよろしくお願いします」

と深々と頭を下げて帰って行った。


「失礼します!」

想像したよりもキチンとした印象だ。


「お母さんから話はきいてるよ。警視庁警察官になりたいんだね」

「はい。なりたいです」と力を込めて彼は答えた。

「ここは、警視庁警察官になるためのノウハウを教える所ではなくて、前を向いて合格を目指せるように応援するところだけど、それでもいいかな?」

「はい。僕に今必要な事は、前を向く事だと思っています。よろしくお願いします」

「なかなか熱い心を持っているな」と感じた。


私は志望動機を聞いてみた。

「小さい頃から憧れてはいたんですが、決定的になったのは高校生の頃、電車に乗っている時に警視庁の鉄道警察隊が痴漢を取り押さえていた所に居合わせたんです」

「悪い奴を許さないぞ!という気迫がものすごくて、生まれて初めて心の底から込み上げるものがありました。被害者にも優しく寄り添っている女性警察官の姿にも感銘を受けてそれから志すようになりました」

これだけの志望動機が言えるのに、何故二次試験で落ちたのか。同時にきちんとした思いがあった事にホッとした。


彼は続けた「でも今言った事は全く面接では言えていないんです」

「こんなにしっかりとした志望動機があるのに?」

「はい。僕は大学入学までずっと母の言う通りに生きてきました。母の言う事さえ守って実行すれば、必ず良い結果が得られてきたんです」

なので、面接試験の時も母のアドバイス通りに答えたんですが、何故か警察官採用試験だけはどうしても合格出来ずにいます」と唇を噛み締めた。


「面接本番ではどんな事を言ったの?」

「小さい時から憧れていたので、警察官を目指しました」と母からそれ一本に貫きなさいと言われたので、毎回同じ事を答えていしまい、いつも短い時間で面接が終了していました」

「母親の言う事を鵜呑みにしていたのか…」私は言葉を失った。


「情けないのですが、今年から母の言う通りに答えていて受かるのだろうかと疑問に思うようになったんです。このままでは駄目になってしまうと」

「自分で気づいたんだね」

「はい」目には涙を浮かべていた。


「悟れて良かったじゃないか」

「君は頭も良いし、きちんとした熱い志望動機も持っている。人間は悟れた後に物凄い力が発揮出来るものなんだよ」

「今までの事を糧に頑張ればいいじゃないか。まだ若いし、きっと良い結果になるよ」

「そうですか」うつむいた顔を上げて目を輝かせた。


「僕も若い頃、警視庁警察官を目指して何度も受験したんだが、何度も落ちてしまって結局諦めてしまったんだ。今でもあの時の気持ちが消える事はない。息子が受かってものすごくうれしくもあるが、うらやましい気持ちもあるんだよ」

「ここに来る子達はみんな熱いものを持っている。もちろん君もね。だからみんな夢を叶えて欲しい」

「ありがとうございます。今度は自分の思いをしっかりと伝え、合格がもらえるよう、もう一度しっかり対策をしていきます!」

と力強く言った。


「お母さんも君に受かってもらいたのは一緒だからね。わかってあげてね」

「はい。色々とありがとうございました。おかげで前を向いて臨む事が出来ます。失礼します」と来た時よりも凛々しい姿で帰って行った。


勉強だけが全てだと信じ込んでいた母子。ここで悟らなければ同じ結果を繰り返していただろう。

歪んだ愛情は不幸を招きかねない。


その夜、妻と2人で酒を飲みながら今日の出来事を振り返った。


「この事をきっかけに良い母子関係が築いていけるといいね」

「築いていけるよ」


母子の「心」との出会いだった。


つづく。。。