あの日、流れ弾を乱射したのはわたしです。

 

 

 

わたしも、まだまだ今回の気づきについて

まとまっていないけれど

この話しを少しでも残しておきたいので備忘録として書いてみる。

URL:https://ameblo.jp/ri-kokoronohanashi/entry-12428970015.html

 

↑ちょっと長いけれど

わたしの話しから破壊力バツグンの流れ弾を受けた話しです。

※読んだら戻って来て!そして、今日のブログも長いです。

 

 

 

 

最初のわたしはね。

ただ、自分の話しを聞いて欲しかった。

 

そして、自分が気がついたことも

わかって欲しかった。

 

 

 

ただ、いつもの「面白い話し」として

みんなに聞いてもらっていたのです。

 

 

シャバで知り合った普通の人との出来事を

オモシロおかしく話すつもりだった。

 

 

 

この一連の出来事に

まさか、こんなオチがついて来るとは

自分でも想像もしていなかったのです。

 

****

 

 

わたしも元々「さみしい」が言えない人でした。

そして、ココロのことを学んで

言っても良いんだということもわかっているし

 

もちろん、みんなにもそれを伝えているし

自分自身の宿題として

周りの人に「さみしい」を言うこともたくさんやってきた。

 

 

 

 

わたしも自由に生きることを知って

そして、禁止や制限を外して

自分がラクになったこともわかっている。

 

 

 

 

でもね。

この時の話しは自分で自爆した話し。

 

 

 

 

大切な人に

大好きな人に

お世話になった人に

 

その時にしかチャンスが無いかも知れないのに

わたしは、まだまだ当たり前に言いたいことが

「言えない自分」に気がついてしまったのです。

 

 

 

 

大切な人だからこそ

大好きな人だからこそ

尊敬しているからこそ

 

わたしは、言えなかった自分を知ってしまったのです。

 

 

 

 

しかも、それは

わたしがイチバン苦手な「本音」の言葉。

 

 

 

 

強くなりたかったわたしが

イチバン禁止して来た

弱い自分をさらけ出すと思っている言葉。

 

 

 

 

そんな自分をとっくに許したと思っていた。

もう、自分は大丈夫なんだと思っていた。

 

 

 

でもさ、結局は突然その場になったら言えなかったんだよね。

で、その場で言えない自分にも気がつかなかった。

 

 

 

「さみしい」

 

このひとことを言ったら

「重い人」だと思われると思って

速攻で自分の気持ちを打ち消したよね。←出たイチバン重いオンナ!

 

 

 

 

こうやって無意識に無かったことにして

わたしは誤魔化してその場を明るく振る舞ったんです。

 

 

 

たった、ひとことなのに

言っても良い言葉なのに

 

わたしは、自分の気持ちを華麗にスルーして

平気なフリで誤魔化して来てしまったのです。

 

 

 

 

で、その場を華麗にスルーして来たわたしは

自分の気持ちがわからずにモヤモヤとしながらもやり過ごし

勝手に虚しさや切なさを感じては胸がチクチク痛かった。

 

 

 

 

でも、どうしてこんなにチクチクするのか

わたしはそれでもわからなかった。

本当に情けない。

 

 

 

 

なぜなら、その言葉に気がつかせてくれたのは

他の誰でもない「言えなかった相手」からだったから。

 

 

 

 

言えるんです!

普通に本音が出せるんです。

しかもサラッと出せるんです。

 

 

 

 

自分でもわからないモヤモヤが大きくなってから

当たり散らしたり拗ねて来たわたしとは違って

当たり前のように言えるんです。

 

 

 

重くなる前に、その言葉を

普通に伝えて来たのですよ!

 

 

 

 

「寂しいです」

 

 

 

 

わたしは、それに気がついて愕然としたの。

 

 

 

 

いつも問題をややこしくして

こじらせて来たわたしには

その人の素直さに衝撃を受けたのです。

 

 

 

 

あ~。

やっぱり、普通に拗ねていない人は

こんなにも素直に本音をサラッと出せるんだなぁ。

 

 

 

 

もう、衝撃なのと自分が情けないのと

訳のわからぬ悲しみと

 

そして、もちろんイチバン言いたくて言えなかった

「さみしさ」でわたしは泣き崩れました。

 

 

 

 

 

「さみしいって言えば良かったんだ」

「ってか、さみしいって言っても良かったんだ」

 

 

 

 

普通に言っても良かったのに

なんで、言えなかったんだ!

わたしは自分自身に本当に驚いて自分に腹が立った。

 

 

こんなに勉強して来たのに

わたしは何をやっているのだろう?

いままで何をして来たのだろう?

 

 

 

そう思ったら

余計に涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

 

例えば、友達とお茶でもして

何気ないいつもの別れ際だったとする。

もちろん、また会えることもわかっている。

 

 

 

 

でも、楽しかったから

大好きだから

本当はもっと一緒にいたいから

「ちょっとさみしい」って普通にある気持ちだと思う。

 

 

 

でもさ、そんなことを言ったら迷惑だから

面倒くさい人って思われたらイヤだから

何より、大切な人を困らせたくないから

 

って、そんなのやっぱり「思考」なんだよ!って気がついた。

 

 

 

「あーん!さみしいなぁ♡」って

さっさとひとこと言えば良いんだよね。

 

 

 

 

で、そのたったひとことが言えなくて

わたしはずーっとずーっと「さみしい」を抱えて

いまだに生きていたんだよね。

 

 

 

 

と、そんな「ちっぽけなコント」を

まだやっている自分に気がついてしまった。

 

 

 

 

物わかりの良い

分別のつく

立派な大人になりたかっただけだった。

 

 

 

りーの言っている通り

それは、正論でなりたかっただけの

ウソの自分だったと気がついてしまった。

 

 

 

そうじゃなくて

感情をありのままに素直に出せて

そして、まんま愛される人。

 

本当は、そっちになりたかったことに気づいてしまった。

 

 

 

 

 

そして、わたしが

カン違いしていたことは

まだまだあって

 

 

 

わたしは、まだ「さみしい」を埋めてくれる人ばかりを

無意識で探していたことに気がついてしまったのです。

 

 

 

 

これも昔のクセだった。

 

 

 

 

自分が満たされていない人は

自分を満たせていない人と魅かれ合う。

 

 

要するに「さみしい人」には

さみしい人が寄って来るのです。

 

 

 

そして、さみしいを

素直に出せる人は

「どうせ愛されている」を知っている人。

 

 

だから、そんな「さみしい人」を引き寄せたりしないのです。

 

 

 

 

今回、この「どうせ愛されている」を

本当の意味で気づかせてもらって

さらに「本音」の出し方まで見本を見せてもらい

 

 

わたしが学んだことは

これすらも「目の前の人はダミー」だったということ。

 

 

 

キライな人や苦手な人がダミーなだけではなく

そうやって素晴らしさを教えてくれた人ですら

「わたしの置いて来た感情を思い出すために現れた人」だったということ。

 

 

 

 

さらに、今回

わたしが勝手に実弾を浴びて来た話しをしたことで

たくさんの人に流れ弾が当たって

 

みんなで更に幸せになるチャンスをもらえたこと。

 

 

 

 

わたしを含め、わたしの近しい人が

同じように気づいてくれたことに

本当に感謝の気持ちしかない。

 

 

 

 

わたしは、本音を大切に言える人から

大きな学びを得た。

 

 

そして、「大切にされる」とは

どういうことなのかを知ることが出来たのです。

 

 

 

 

まだまだ、自分の気持ちに起きた出来事が多すぎて

整理がついていないこともたくさんあるけれど

 

もしかしたら、わたしがこうして今回

「自分のさみしい」を認めざるを得ない人に出会ったことで

 

わたしの「さみしい人探し」も終わった気がするのです。

 

 

 

もう、これからは

愛されて幸せな人たちと出会っていくような気がするのです。

 

 

 

 

なので、今回の出来事は自分にとって非常にイタかったけれど

わたし達、流れ弾受けまくり軍団にとっても

まとめて成仏させてもらえたようで感謝しか無いのです。

 

 

 

 

今年の最後に大きな贈り物をもらった話し。

そして、わたしからまた周りの人へ贈って行きます。

 

 

【追記】

 

そして、わたしの話しから発生したこのネタを

「りー」⇒「姉さん」⇒「めぐこ」が書いている。

 

 

是非、めぐこの繊細な描写のブログも読んでみてー(やっぱり長いよw)


URL:https://ameblo.jp/meguko12/entry-12429488529.html