オートマ車の普及によるリスク

 

 現在日本においては、自動車の99%をオートマチックトランスミッション(AT車)が占めている。これはマニュアルトランスミッション(MT車)とは違い、クラッチペダルがなく自動でギアチェンジがされる仕様となっている。従来普及していたMT車に比べて、運転手順が単純でそれに伴い免許の取得率も向上している。それはまさに革命的な発明であった。


 しかし車というものはあくまで、高速移動する鉄の塊である。扱いを間違えれば、命など簡単に奪えてしまうのだ。事実、車が関与する交通事故というものは毎日起こり、その上死亡率も非常に高い。


 そのような責任を伴う「運転」という権利をそう簡単に与えてもよいのだろうか。AT車の登場は車社会の更なる発展に大きく貢献したが、それと同時に、免許獲得のボーダーが格段に引き下げられ、責任を負うに値しない者にまで権利を与えてしまっているのではないだろうか。確かに、自動車のレゾンデートル自体は変わっていないように思うが、運転の容易さが緊張感の欠如を生み出しているのだ。


 開発されて間もない頃の車というものは、誰しも性能や存在に対して懐疑的で慎重であった。だが、現代における意識はどうだろうか。一台以上車がある家庭がもっとも一般的なモデルとなり、誰しもが車に関わりのある生活を送っている。その存在は完全に生活へ溶け込み、皆が盲信的に車に乗り込んでいる。このような普遍的で脳無しのモブたちが、ドライバーの大多数であるのだから事故など起きて当然で、これの増殖を抑えることは困難である。


 故に、敷居を上げて真に適正とされるドライバーを選び抜かなければならない。そういった点では、MT車は絶好のふるいであったと言えるだろう。今なら、プロメテウスが磔にされた理由も心の底から納得がいく。