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ミキのつれづれ思うまま♪

日々出会い流れてゆくよしなしごとを... メッタ切りするかも^^;;

こんにちは。しばらくぶりです、ミキです。

世界は。。。、今のところあんまり変わりませんねぇ。相変わらずコロナの緊急事態宣言下でアメリカはバイデン新大統領ということになったけれど。。。、なんかもっとすごく大きいことが起こるのを期待していた?のですが、どうなんでしょう。

ふと気が付けば2021年。
私の大切だった人が亡くなって丸20年になります。

とても久しぶりに、21年前、彼が私にと入れてくれたCDを聴いていたら、当時の風景、感情が蘇りました。あの頃のさわやかな雰囲気、せつない気持ち、彼の笑顔。一緒にいると、心が広がるようでした。楽しかった。好きでした、とても。

アメリカにいた彼の娘たち。当時14歳を筆頭に、10歳、9歳。
今はSNSという便利なツールがありますものね。
記憶をたどって名前を探すと、出てきました。娘ちゃんたち、結婚して子供がいたり、弁護士になっていたり、ファッションリーダーのようになっていたり?それぞれの道で活躍しているようでした。そして、彼女たちのお母さんも。

きれいな人です。

20年前に彼の部屋にあった写真で見た時には、もっとギスギスした感じに見えたけれど、時間が経ってちょっとふっくらして、品のあるいい感じに見えました。

ここ3年くらいのうちに再婚したようなフシもありましたが、この20年近く、彼女は再婚もせずに娘たちを立派に育てたようでした。

娘たちはそれぞれ、彼に似ています。彼女たちのインスタやFBには、20年前に亡くなった彼のことも時々写真入りで出てきました。お父さんのことを大好きで、誇りに思っているのがよく伝わってきました。大切な家族だったのだなぁ、と胸が熱くなりました。

彼はアメリカ人で、インディアンの血の入った黒人でした。
すらっと長身。静かで、雰囲気のある人でした。私よりは14歳も年上でした。

私は、失礼ながら、黒人の男性は眼中になかったのです。当時普通の日本人の家庭として、昔気質の父はもう亡くなっていたけれど、黒人と付き合うなんて言ったら母に反対されるに決まっていました(単なる世間体とか、一般的な差別です)。

出会いは、彼が私を見つけ、話しかけてきました。

そんなわけで私は初め、かなりつっけんどんというか、おざなりに対応していたのですが、少し話してみたら、彼がすごく聞き上手で、また、感性が合うことがわかってきました。
今まで全く気にかけてこなかった黒人男性に、こんなに話の合う、一緒にいて安らぐ人がいるなんて…、それはもう、知らなかった世界の扉を開けたように新しい驚きでした。彼は少年のように茶目っ気のあることもあれば、老人の諦念のように事を荒立てない分別も併せ持った、不思議な人でした。いつも落ち着いて静かに微笑んでいて、料理がうまく、しかし、黒人のくせに音痴でした(笑)

彼が亡くなる直前の一年を、私たちは共に過ごしました。2000年の5月に知り合って、丸一年後の5月に亡くなるまで。色々なことが次々に押し寄せてきて、ドラマ(嵐)のような1年でした。
私の周りは静謐なのに、彼はいつもトラブルに巻き込まれていました。こんなに善い人なのに、なぜ?と思うほどに。

離婚していると私に言った彼は、実はまだ別居中だったのだということを、巻き込まれたトラブルの中で知りました。不倫はしないというのを標榜していた私には、とても大きな衝撃でした。

奥さんが二年前から浮気をしている。僕は子供を引き取って別れる。上の二人は奥さんの連れ子で、一番下が僕の子供だけれど、みんな引き取って僕が育てたい。…..そんなことを言いましたが、なんのなんの、みんな彼の子ですよ。20年後のインスタを見て、三人の娘がそれぞれ彼の面影を残しているのが動かぬ証拠です^^;;まったく….。私もいい年になり、不倫をする男性がどんなにめちゃくちゃな嘘をつくかということを 今なら理解できます。少しでも子供の数を少なく見せたかったのですよね(笑)

アメリカに帰ったら離婚の手続きを取る。それがどれほど本気だったのか、今となってはわかりません。子供のためにやり直す気はないの?と水を向けても、それは僕ら夫婦が目指す方向ではないから、と言いました。本国にいる奥さんからは、実際に、昼夜を問わずに電話がかかって来ては、真夜中に叩き起こされ、「離婚の際には私はあれとこれをもらう」と怒鳴り声が受話器越しに聞こえたものでした。こりゃーすごい鬼嫁だとビビりました。

本来は、出会ってすぐに帰国の辞令が出ていた彼は、私と居るためにそれを蹴りました。彼は28年勤めた仕事を辞め、新しく様々なことをせねばなりませんでした。その決心がとても重いことを私はわかっていました。私のために時間稼ぎをする…、残ると決めた彼の未来が迷走しなければいい、と、祈る思いでした。

そこからまた新たなる最大のトラブルに巻き込まれ裁判沙汰になり、しかし日本にいる時間は6か月延びました。心配事や先の見えないことばかりだったけれど、近くにいられたのは嬉しかった。

そんな彼はアメリカに帰国し、3ヶ月あまり過ごしたところで、バイク同士の事故で亡くなりました。夜だか明け方だか、暗い時刻、1400cのハヤブサという大きなバイクに乗ったのは彼と、もう一台は奥さんの兄弟。どうぶつかったのか。彼は投げ出されて亡くなりました。相手方は大した怪我ではなく、葬儀に松葉杖で参列したそうです。2日前に電話で話して、忙しくて切ったので話が宙ぶらりんで、かかってこない電話を待ちわびる中で聞いた事故でした。


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あれから、20年。この5月の命日で20年になるのですね。

彼が生きていたら、私達は一体どうなっていたでしょう。私は今頃アメリカにいたのか、それとも別れていたのか。(離婚までには)時間がかかるよ、と呻いた彼に、一年待つよと伝えた私でした。1年後、私達はどうなっていたのでしょうか。
彼はどんなおじいさんになっていたでしょう。


私達のことを知る数少ない友人と、今日、彼の話をしました。懐かしい話をいろいろ。彼女は言いました。「ミキさん、チャールズさん、いま、きっとここに居て、ニコニコ笑っていますね」。

彼の命日と好物を聞き、カレンダーに記してくれた彼女の気持ちに、思わずホロリと来そうな冬の日でした。


【追記】
実は2004年に、上の話を一冊の本にしました。今はもう無くなってしまいましたが、本の森という出版社さんで1,000部刷り、販売していただきました。その時の私の取り分として納入されたものが、まだいくらか手元にあります。もしご興味があり読んでみたいと思われる方がおられましたら、メッセージをください。進呈させていただきます。








 

 

 


こんばんは、ミキです。



どこまでが真実で、どこからがおとぎ話に類するものなのか、私には判然としないのですけれど、

もしかしたら世の中には、恐ろしい真実は隠されているのかも、知れません。

 

トランプ氏は「フェイクニュース」と言ったけれど、あながちそれも嘘ではないかもしれず、

報道なんて誰かや組織の意向で、簡単に偏向報道になります。

 

また、同じものを見ても私とあなたの記憶に残るものは違うかもしれず、そんな一次的な記憶さえあやふやになるなら

見たこともない世界の出来事など、どうやって信じろというのでしょう。

 

もうすぐ米国大統領選が始まりますが、私には、トランプ氏が全くの善人にも見えません。

 

主だったメディアで日本ではほぼ報道されなかったと思う、昨年の夏、ニューヨークの拘置所で死んだエプスタイン氏。

彼のプライベートアイランドで起こされたおぞましい出来事の数々、

そこに繋がる世界のセレブたち。そこらへんの事実が開示されると見られます。

 

さて......、どこまで期待していいのか、それが開示されることによって、世界は良い、生きやすい場所になるのかどうか。

 

非現実的だと思うのですが、一年前の時点から今まで、既に、未曾有の領域に突入しています。一年前の時点から、コロナに振り回された現在のことは、全く想像できませんでした。



これから起きるであろうことに期待して、変化を見届けたいと思います。

 

 

 

こんにちは。ミキです。 毎度ご無沙汰をしております。   

 

突然ですが、プーチン大統領って、あれ、別人ですよね? 

 

20年前に登場したオリジナルのプーチン氏は、もっとシュッとしていて、いかにも「アイアン・マン」...、冷徹な感じでした。 

今の「プーチン氏」は、ニヤニヤしてちょっとぽっちゃりした酒飲みのおやじに見えます。見れば見るほど、違和感を覚えます。 

本物はやはりどこかで暗殺されてしまったのでしょうか。。。  

 いきなり穏やかでない話をしてごめんなさい。 テレビに彼が出てくる度にそう思うので、つい書いてしまいました。。。^^;;。。。   

 

長い年月の間に、いつの間にか変わってしまって幅を利かせているものって色々あって、 例えばインドカレー。。。   

30年くらい前は、さらっとしたスープカレー(までは薄くないけれど)っぽいソースだったのに、最近はどこのインドカレー屋で食べても、もったりとしたピューレ状に。。。。 気が付いたら一斉にそんな感じになっていました。

私は前の方がいいなぁ。いつから変わってしまったんだろう。   

 

今はなき地元「宝来軒」の、大好きだった、塩味の中華丼。塩味だから好きだったのに、ある日行ったら、一般的な醤油?オイスターソース?ベースの茶色に。 もの凄い違和感で、「これ、変わったんですか? 塩味でしたよね。。。」と言ったら、「うちは昔からこれですよ」。 

たしかに2年間くらいは行っていなかったかもだけど、ものすごい「キツネにつままれた感」がありました…。

いや、でも、確かに「あそこは塩味で美味しいよね」って、昔の同僚とも話したんだから、塩味だったはず。。。。。 

 

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 閑話休題。非現実な現実に生きる私たち。。。。 

コロナの前後では、自分を取り巻く世界と日常が、まったく違うものになってしまいました。   

それはもう有無を言わさず、選択肢などなく、今に生きる地球上の全員が「よいしょっ」と越えさせられてしまった波でした。 

大晦日のようなものですかね。戻る道はなく、ただ進むのみ。   

 

どれだけ非現実的かと言うと。。。   私は4月~6月半ばまで自宅待機になりました。 

自宅勤務と言いたいところですが、社内メールやシステム、及び共有ファイル(データ)へのアクセスといったインフラが何もないものですから、到底テレワークなんぞと呼べる代物ではありませんでした。

「自宅待機」、家に居なさい。でも特に仕事もない.... といった日々でした。基本、必要な買い物や、朝か夕の散歩に出たりするほかは、自宅軟禁状態でした。勤務時間が明けても、遊びに行くことすらできませんでした。

(だって勤務時間内は「賃金を払われて」家に居なさいと言われているのに、勤務時間が明けたから、とか、週末の休みだからって、電車に乗って出かけられませんよね???^^;)  

 

その後一旦それが解除で通常出勤になりましたが、8月初めに再び自宅待機に。

この時は2週間で終了しました。 

先が見えない中で長いこと職場に行かないのも、どうなっているのか不安ですし、仕事は溜まりますから、私は3人で出勤を交代する、という仲間に入れていただいて、3日に1日は出勤しておりました。 

これがまた結構大変で、....というのも、私以外の二人は事務職です。私だけ実は職種が違いまして、企画分析ということをやっています。

彼女たちの仕事を私が手伝うことはできるけれど、私は手伝ってもらえない。

3日に一度しかない貴重な出勤日、なのに、大抵午前中いっぱいは事務職の毎日のレポートやあちこちから来る連絡業務などに追われて消えました。なので、私本来の仕事は、実質午後の半日しかできず、キレそうでした ^^;; 

かといって、稼働人口をオフィスから削減するための自宅待機と交代勤務ですから、締め切りに間に合わない仕事でもない限り、余計に出勤するのも嫌でした。 

 

公共交通機関での移動も禁じられていたけれど、(私は電車通勤^^;)そこは知らん顔をして通しました。

これをダメだと言われたら、本当に出勤できなくなってしまう! かといって、こんな理由で車を持ちたくない!!!  

 

大学を出て就職してからというもの、みんな同じことでしょうが、やめたわけでもないのにこんなに自宅にいて給料もらえることなんて初めてです^^;; 有難いことですが戸惑います。

「今はステイホームが仕事!」と思っても、善良な小市民には、良心の呵責?があります(笑) 

また、「お休み」ではありませんから「自由」とは程遠いですし、寝ても起きても「コロナ感染恐怖」とでもいうベーシックが意識無意識内にべったり貼り付いていて、気持ちが休まりません。   有給なんですから何かしらのアリバイをこしらえるべく、まともに取り組んでなどいないオンライントレーニングの修了書だけ何とか手に入れようと躍起になったり、聞いてもいないトレーニングを流しっぱなしにして「これだけ視聴した!」というエセ実績を一覧表に仕立てたりしました。

 

万一、「で? アナタはこの長期の自宅待機の間何やってたの? 提出して」な~~~んて言われても困らないために、セコセコと、こんなことをしていたわけです。

まぁ、「給料出ている」と思うと、何か他の、自分の趣味に没頭するというわけにもいきませんから(気が小さいですね、笑)、それはもう、振り返り振り返り、アリバイ工作に心を砕く日々でした。疲れた~~(笑)   

 

この春から秋にかけて、バードウォッチングの国内ツアーを、日帰りのものから二泊三日まで、7個も入れていました。

三宅島(東京)、立山(富山)、十二湖(青森)、四万十(高知)、対馬(長崎)、戸隠(長野)、富士山(山梨)。

とても楽しみにしていたのに、全部キャンセル。 その代わりお金は養生できたので、今しかできない様々なメンテナンスをして、また、ツアーがダメならと、これもかねてから行きたかった、鳥取県八東ふる里の森へ個人で行って参りました。

 

2年前に行こうとして全部準備したけれど、大きな台風で交通機関が止まって行けなかったという曰く付き。

ツアーが総倒れの今年はもってこいだと、ちゃちゃっと飛行機に乗ってレンタカーをして、森のバンガローへ。

適切な手入れの入った自然、ブナの森。

アカショウビンやオオコノハズク、また素晴らしい鳥友さんたちに出会え、宝物のような時間を過ごしました。

帰ってきたくないほどに。温泉も良かったし ^^    

 

 

 

あ、また話が逸れた^^;; 

「不要不急の外出は避けて」「家にいなさい」、と。 私の職場は神奈川県にあるのですが、外出規制がかかっていて、すこーし緩和された今でさえ、神奈川県(横浜・川崎を除く)、山梨県、静岡県の一部(150キロ圏内)にしか出かけてはいけないことになっています。

東京はオフリミット。しかも公共交通機関(電車・バス・飛行機)の利用も、許されていません。

この職場命令を外れる時には、一応許可が必要だということになっています。(外出許可があったって、コロナにかかるときはかかるだろうし、意味不明です...。単なる嫌がらせ、予防線か?) 

 

そろそろ野鳥たちの渡りの季節なのに、今年は隣県の千葉にさえ行けないんですよ…。

同じ国内、首都圏、電車ですぐなのに。こんな日が来るなんて、これを「非現実」と言わずして何と呼ぼうか。 バカバカしいくらいです。   

3人交代で勤務していた当番のある日、その2.5日前からノド痛と、2日前から頭痛がありました。

そして、同じく2日前から「なんとなく、口の中で苦みを感じる?」というのも。 熱、咳、くしゃみはありません。

不調には心当たりがありました。ノド痛や頭痛が始まる前、炎天下を少し無理して歩いてしまったことがあったのです。

水を飲み、日陰で休んだりしたのだけれど、ちょっときつかったなと自覚していました。

そして帰宅してからは、うちのエアコンは27℃~29℃なのですが、居間にいてパソコンなどやっていると、じかに冷風が当たることがあり、これもちょっとまずいなと思って室内でショールをしたり帽子を被っていました。

それでもやはり堪えていたようで、要するに、この不調は「熱中症と冷房病のコンビネーション」だと、自分では思っていました。   

 

その当番の日の朝、歯を磨こうと水を口に含むと、水を苦く感じました。   

 

水が苦いって?????   

 

う~~~~ん、コロナで言う「味覚障害」は、「におわない、味がしない」というものだと聞いているけれど、味覚障害と言ってしまえば味覚障害であるし…。あと、「無症状の人がいる」と言われてしまうと、それも私は「絶対に違う」とも言い切れないし。。。 

職場でわざわざ減員している、当番の出勤日です…、それだけで「出勤すること」自体にプレッシャーがかかっています。

今までの、なんでもない、みんなの中の普通の毎日の中の出勤ではありません。

基礎疾患もちの、高齢めの同僚たちの顔が浮かびました。万万が一のことがあっては困る。     

 

う~~~~~む、言うかぁ? ・・・・・ ^^;;・・・・・・・     

 

私の出社は朝7時半ですから、朝6時前、上司に体調不良で欠勤願いの旨、メッセージを送りました。

すぐに既読が付いたので、電話をして話しました。   

こういう時はもう、「どーぞどーぞ、お家にいてください!!!」って、腫れ物に触る勢いです^^;;。。。。。   

その後は、8時半に開く個人クリニックに電話して状況を説明すると、「あ、それは、保健所に電話してください」「え? 自分で電話をするんですか? なんだか、混み合っていて全然繋がらないっていう話は。。。」「今はもう大丈夫ですよ。かけてみてください。番号は、xxx。。。。」「はあ。」 にべもない。 うちには来てくれるなと言わんばかり。  

 こんなやり取りを経て、9時まで待って、市の保健所へ電話。 話し中で繋がりません。   

そうだろそうだろと思いながら、もう一つ、別の医院に電話…。説明すると、「それでは、こちらで受け入れ態勢を話し合いますので、後ほどお電話します。お待ちください」と。

 

その待っている間に、保健所に再トライ、繋がりました。私の事をお話しすると、見立ては、   「それはたぶん、コロナの可能性は薄い気がしますね….。熱、咳、くしゃみはありません、と。下痢はしていますか? していません。うん、そうですか。それでは、コロナの可能性を含みおいても受診できる病院をご案内できますから、こちらに問い合わせてみてください。xxx-。。。。」  

 

 …… 私も多分違うんじゃないかって、これでコロナだったら逆にびっくりするよと思っていたけれど(だってあまりにも無症状だから)、「味覚障害」「無症状」という二点に引っかかって、超、超、超安全策のつもりで、出勤を控え、医療機関に連絡を取ったのでした。   

しばらくすると、受け入れ態勢を話し合っていただいた医院からも電話をもらい、昼、12時15分に、駐車場の奥に特設したテントに来て、到着したら医院に電話をするようにと言われました。

おお~~~、特設テント!!! 隔離じゃ~~~。。。^^;;。。。。。   

灼熱の真昼に原付で到着し連絡すると、女性が一人やってきて、誰もいない外のベンチで待つようにと指示されました。

待つことしばらく。院長先生が見えて、特設白いカボチャ型の、すべての窓が全開だけれどそれでも暑いテント内の、遮蔽したビニールの向こう側で距離を開けて、問診をしてくださいました。   

「うん….、そうね、やはり、味がおかしいってところだけが気になりますね…。色々ありますからね。一応、検査受けときましょうか。その方がはっきりしますからね。」   … と、すんなり、当日3時間も経たないうちでのPCR検査予約をとりつけてくれました。   

ノド痛、頭痛には、漢方薬と頭痛止めを出してくださいました(桔梗湯、麻黄湯、カロナール)。 

この処方は、しばらくしてよく効きましたので、助かりました。  

 

PCRの検査会場は、原付で10分ほどの近さ、市の体育館の地下駐車場。

地上は灼熱地獄ですから、これはよく考えられているなと思いました。

その頃はどのみち様々なスポーツ活動も自粛・中止で体育館は閉鎖されていたのではないかと思います。

医院から私の情報の入った封筒を持たされ、少し早く着いたので入口付近で待っていると、地下から防護服姿の男性がやってきて、「いいですよ、どうぞ」と招いてくれました。だだっ広い地下駐車場は地上よりずっと涼しいし風も通るので、おあつらえ向きの場所でした。 

その広いところに防護服の男性が3人いるほかは私だけ。一般の立ち入り禁止を示すものか、それとも順路案内だったのか、赤い点滅する矢印のライトがありました。

 

誰もいないそこで私は少し上を向いて座り、防護服の人が衝立の向こう、横から、私の鼻の奥に長い綿棒を差し込み、キュッキュッとこすり取りました。これでお終い。ほんの1分もかからない検体採取でした。   

何もかもが非現実的で、まるでSFの世界にいるようでした。夢に出てきそうです。   

15時15分の予約でPCR検査を受け、結果が出るまで1~2日と言われましたが、翌日の18時に医院から電話をいただきました。   

結果は陰性。   

わかっていたけれど、ホッとしました。 仕事を休んだ手前、何かしらの結果を持っていかなくては、先へ進めません。 

 

普通の日常なら、ノド痛、頭痛、口の苦みなんて、誰に迷惑をかけるでもない、自分が我慢すするか、痛み止めでも飲んで出勤すればよいだけのことでした。口の苦みだって、初めてではありません。 

ただ、もはや「普通のこと」が普通ではなくなっている現在、こんなに大きな話になってしまうのでした。   

「無症状」と言われたら、なんでもないすべての人が当てはまってしまいます。 

 

口の苦みは、その後3週間経った後でも続いていました。こんなに長引けばやはり心配になりますから、あの時点で検査を受けておいたのは精神衛生上、とても良かったのです。

これって恐らく、ストレスから来ているのだと思うんです。 潜在的にコロナを意識しているストレス。

それは誰にでも共通で、第一線の医療従事者の方なら私なんかの比較にならない重圧でしょうが、私は私なりに、やはり今までの人生の中にはなかったストレスを、有意識無意識にかかわらずいつも感じているっていうことなんですよね。

 

醒めない悪夢のように。   

 

上司と、一緒に仕事をしている、ごく内輪の同僚、そして労務管理の厚生課にPCRを受けたこと、結果は陰性だったことを伝えました。

 PCRって、3~4万円もかかるんだそうですね。

医院での私の支払いは普通でした(医療費が2800円、薬代が750円ほど)。PCRの費用は、どこが払うのでしょうか。健保かな?   

厚生課にPCRを受けたと報告した時の第一声は、「濃厚接触者は?」でした。 

私の出勤は金曜、一人暮らしで、そのあと土日月火までは週末休みと自宅待機で、ノド痛の症状から始まったのが日曜の午後からですから、濃厚接触者はいませんでした。 

そう聞かれたとき、「欠勤したのは、大事をとるという意味で、正しい判断だったのだ」と思いました。   

 

.........思いましたが、私の名前が浮上してしまったのは事実で.... 今回陰性だったからと言って、これからかからないという保証は当然ないですし・・・・・ 正直、後がないという感じで、これからは一層気を付けなければいけない立場となりました ^^;;。。。   

手洗いうがいにマスク、次亜塩素酸水の持参はもちろんのこと、コロナが騒がれ始めた2月終わりから今に至るまで、買ってきたもの、郵便物、宅配物はすべて次亜塩素酸水で消毒してから家や冷蔵庫に入れています。   

 

やる事、気を付けることが増え、自分の体力の温存、免疫強化も図っておかねばなりませんから、ここはあまり忙しい生活や寝不足をせず、無理をしないのが一番です。   

目に見えないものを避け、目に見えないものと戦う。 特別なことではない。

誰でも広くかかる可能性があるのに、かかってしまったら相変わらず重大な影響がある。 ひどくトラップな気分。  

 

 

 養生していきたいと思います。