こんな深夜まで眠れない⭐️です

私は、遠距離恋愛から、結婚して東京の練馬に住んでいました。
それから2年後山梨県甲府市に、引っ越しました、多分ほとんどの結婚生活を山梨県で過ごしました

水道水さえ綺麗で、果物は、大変美味しく、桃の時期はハネダシって言って売り物にならない桃をパン箱で、桃を作っている近所のおばちゃんがくれて木で熟した甘い桃、大きなお葡萄🍇、すもも、りんご
沢山の美味しい果物に、囲まれて幸せいっぱいでした。

その時、賃貸で住んでいる所は、ペット禁止だったのですが、私は1匹の野良猫を拾ったんです

大家さん家族は良い人で、いつも畑で取れる野菜や、美味しいお菓子を⭐️に下さっていました。

駐車場代を、銀行引き落としにしようと、大家さんの息子さんに話したら、⭐️ちゃん僕の両親は、月に一度駐車場のお金を持って来る⭐️ちゃんに会うのが楽しみにしてるから、良かったら、このままじゃダメかな?と甲州弁で仰ってくれて、、

そんな大家さんを騙して、ネコを飼うのに気が咎めて、その賃貸は会社が借りた物なので、⭐️は、その先代のりへーさんの為に、転勤族なのに主人に、又転勤になったら、貸せば良いと、今度は石和温泉近くの新築マンションを買いたい

⭐️は、その時家でワープロの仕事を、小国民社と言う会社から、委託されてワープロで打ち込んでまだ、フロッピーの時代打ち込んだ物を、フロッピーに入れて会社に持って行く仕事をしていました。

今日ブロ友さんの俳句のブログを読んでふと思い出したのですが、私は毎月その仕事が、旧漢字、旧かな使いでまだ二十代の⭐️は、俳句の仕事と、山梨大学の教授の、これは字が汚すぎて読めないし、時々英語とか、分からない単語をみみず🪱みたいに挟んで来て、この仕事が来ると、嫌で仕方無かったです。

しかも俳句の名前も変なのばかりで、でもマンションを主人が、⭐️は、今まで主人に物をねだった事が大学時代からないので、快くペット可の新築マンションを買ってくれたのです

この時が、⭐️の人生の中で1番幸せな時間でした。ワープロの仕事は、物によるけど、パートに出るよりはずっと割りが良かったので10年以上働いていました、主人も出世して、子供も出来なかった⭐️に息子が授かり

多分この時期が、今だに幸せを凝縮した期間でした。

そんな事を考えていたらこんな時間になってしまいました。

ネコは、先代のりへーさん2代目のりへーさん2匹とも虹の橋を渡りましたが、今でも私と共にいます


あの頃の思い出と、息子がいたから⭐️は、生きれた様な気がします