一人一人のエピソードは2巻目で終わり

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原作:石ノ森 章太郎
著:小野寺 丈
ジャンル:SF
 ◆◇◆
「サイボーグ009 完結編Ⅱ」を
あっと言う間に読み切って、今はⅢ
のはじめを読んでいるところ。
 001から009までの独り舞台
の9話の短編が2巻目で終わる。
(1巻目は004までの4話構成)
この中で、007の話「幽霊劇場」
はタイトルだけが石ノ森の作品で
中身は全て小野寺著作のようだ。
もっともホラータッチで結構怖い。
006の「天空の食」も後半は小野
寺著らしく、ストーリーアイディア
がふたつ用意されていたものは良い
部分をつなぎ合わせて構成したそう
な。(その方が苦労すると思う)
それぞれのエピソードをひきずって
いよいよ最終巻の「Ⅲ」に繋がって
いくようだけれども・・・。

 

 今上映されている「009 RE:CYBORG」の映画は少なからず「天使編」や
 「神々との戦い編」を意識されて作られている。
 ネタバラシの多いyahoo映画のプレビュー記事にも困ったもんだけれど、
 やはり最終的な敵は「神」と言う事になる。
 「神」は善か?と言うと決してそうではない。
 善悪の範疇に入らない、人間や世界を創りしもの・・みたいな定義で
 この009の世界観は成り立っている。
 基本的に、巨大なものに抗う姿勢をサイボーグ戦士たちが身を以て
 示している漫画・・だったわけで。
 40年前の勧善懲悪の感覚と、今風の清濁何でもアリの感覚ではかなり
 ギャップが起こってしまうのも仕方がないかもしれないと思う。
 古いコンテンツを引き出してしまうと必ず思想的なギャップが出てしまう。

 

 009に限らず、石ノ森章太郎の漫画は、最後には何かとてつもないモノ
 との対峙や問題定義が行われるパターンが少なからずあった。
 「リュウの道」「ギルガメッシュ」「ミュータント・サブ」・・・
 能天気なハッピーエンドを迎えるものは逆に少ない。
 当時はそんなエンディングが流行っていたというか・・1970年ごろは
 「果てしなき流れの果てに(小松左京)」「百億の昼と千億の夜(光瀬龍)」
 「幼年期の終わり(アーサー・C・クラーク)」などの所謂終末論をテーマに
 したSFも万博景気、世界はバラ色の裏側で流行っていた。
 009然り・・・と思う。
 基本、石ノ森漫画はテーマがでかいものが多い。


 

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 そんなかんなで・・・。
 これはどう収拾をつけるのかな?と思える各人の短編エピソードも結構ある。
 ピュンマなんか火星にまで飛ばされてしまうのだからこの後どうするんだ?
 (彼の場合、影が薄いのでこの時ばかりは派手なストーリーで良いとは思うが)

 

 かつての、漫画休載最終話からの関連性は全然ないと少し前の記事にも
 書いたが、映画もこの「完結編」もまったくそれは無い。
 あれはあれ、これはこれ・・・という感じになってくる。

 

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 それでも!
 私は009という漫画は好きだった。
 ファンとして、どんな形に変化しようともまた出会えたのは嬉しい。
 手塚治虫没後も手塚アニメが出るように、石ノ森(アニメでもコミックでも)作品が
 また観れるのは正直嬉しい。
 まぁ、40年も経過しているから、現在の50歳以上の方々しかこんな感覚には
 ならないと思うけど(笑)。
 はにぃさんなんか009なんか全然知らない世代だから、私とはまるで受け取る
 感覚が違うのだろうなぁと思ってしまう。

 

 ということで。
 完結編Ⅱは読了。
 いよいよラストのⅢに突入。
 出だしは凄まじいパニックシーンから開始になるようだ。