【廃専用線を追え!】
雷電山&辛垣山南陵⑴のつづき
薮を掻き分け直登し、道なき斜面をトラバース

後ろの5人は文句も言わずついて来る

平場に降りたとこがちょうど木造ホッパー積込貯鉱槽の上部

みんなは休憩してたけど、MIMIZUはザックをデポして探索

廃バイク発見ッッ

昭和30年頃はバイクの国内トップシェアだったらしいけど、昭和39年に倒産

会社更生法によりトーハツ株式会社として現存している

この廃バイクは昭和36年に発売された【トーハツアローLA-2A型】だと思われるよ

この平場、昭和22年の搬出工程に当てはめると、ベルコンがあったとこかな

ここは登山道にも繋がる分岐なの

なので、道なき斜面をトラバースしなくても、楽に来れるルートがあったのは5人にはナイショ

道標の苔、パヤパヤがかわいい

ここでMIMIZUは純粋に索道跡を辿るつもりだった

しかし「登山道の方向では?」というその場で調べた意見もあり、否定出来ず仕方なく登山道に行ってみた…

なんとも言えない休憩場

歩いても歩いても搬出の痕跡や遺構が見つからない

GPSを確認すると明らかに違うので、分岐まで戻ることを提案

道迷いの基本ッ

ってか、よくわかってない人の意見を取り入れたことに激しく後悔…
再度、分岐からリスタート

パラパラと石灰石が落ちてる索道跡を辿る

まっすぐの直線を保つためにU型に切り通された傾斜をひたすら登り詰める

すると、目の前に
コンクリートホッパーが現れたのッッ









草木が生い茂っててわかりづらいけど、かなり底は深い

この記事を書くにあたって、ここの謎が解けず、膀胱炎のMIMIZUは大きな壁にぶちあっていた

国会図書館で調べた資料によると、
〝索道は3.15キロ〟あったはずなのに、ここにホッパーや貯鉱槽があるのは明らかにおかしいのだ!!
明治27年、青梅鉄道が立川まで開通し、
大正9年には石灰石の運搬が目的で二俣尾駅まで延長している。
さらに青梅電鐵が経営していた辛垣山は大正末期まで石灰の採掘が行われていたようだし、雷電山、辛垣山南陵にはインクライン跡が少なくても2本、実際の地形や遺構からするともっとあったんじゃないかと推測出来る

…ってことは
このコンクリートホッパーや貯鉱槽は
〝大正時代〟のモノということになる❤︎
さらに、昭和22年以降は索道オンリーで成木採掘場から二俣尾まで来ていたという確たる証拠を導き出すため、国土地理院地図で距離を計測

旧青梅鉱山の成木採掘場から索道分3.15キロ、さらにベルコン分の85メートルでちょうど木造ホッパーの積込貯鉱槽上部あたりに来るッ

おお〜

スッキリ

この鉱山専用線はメジャー物件ではないので、マニアックに調べ上げた先人がほぼいないの

だからまだまだ謎は多い


























