米藤 | No pain,No gain

No pain,No gain

大阪の3ピースバンドPainsリーダーのブログ。音楽、趣味や日常について綴っていきます。晩酌中の執筆が多いので辛口御免。
ビジネス関連のブロガーさんは申し訳ありませんがスルーさせて頂きます。

こんな白昼夢を見た。

 

 

某市内にある深夜のA集配センター、その積み込みホームに米藤は大型トラックを駐車した。

 

トラックを降りてホームに上がり、積み込みの準備を始めようとすると攻撃的な荒井が近づいてくる。

 

「おい米藤、テメエなんでここに居るんだよ?この間、出入り禁止になったばかりだろう?」

 

米藤は半年前にA集配センターで別会社の運転手といさかいを起こし、少し遠くに離れたB集配センターで仕事をすることになった。しかし、いさかいの理由もそもそもは別会社の運転手がふっかけてきたものである。

 

米藤は事態を穏便に済ませるため、しばらくB集配センターに移っていたのだが仕事の仕方など勝手が違う。そのため不器用な米藤は配車係りに話をつけて、結局慣れ親しんだA集配センターに帰ってきたのだ。

 

「テメエみたいな問題の多い運転手が帰ってくると、俺たち真面目な運転手は困るんだよ。さっさとB集配センターに帰んな!」そう言って荒井は米藤の肩を手で押した。

 

米藤は体が大きい方ではないが、全身に付いた筋肉の厚みが服の上からでも分かる。米藤は一歩後ろに下がりながらもタフな笑顔を浮かべた。

 

「お前さんも知っての通り、俺たち運転手は舐められたら終わりだ。それに、俺がどこで仕事をしようがお前さんにどうこう言われる筋合いはねえ。俺の好きなようにやらせてもらう」

 

そう言うと米藤は右手で荒井の肩を掴んだ、凄まじい握力で締め付けると耐えきれずに荒井は顔を歪めた。

 

「くっ、米藤おぼえとけよ。また出入り禁止にしてやるからな!」荒井はこちらを睨みつけながら引き下がっていく。

 

もちろん米藤は出入り禁止になどなっていない。しかし群れるのを嫌い、もともと多弁な方でもないので時にあらぬ噂を立てられることがある。

 

 

米藤が積み込みの準備をしていると、若い女性アルバイトが駆け寄ってきた。

 

「米藤さん帰って来たんですか?もう荒井さんとかやりたい放題して困ってたんで助かります」

 

米藤はまたタフな笑顔を浮かべて言った。

 

「俺が帰って来たからには、あんな半端者どもの好きにはさせねえよ。すぐ働きやすい職場にしてやるから待っててくれ」

 

 

彼の名前は米藤勉、もちろん改名している。元々は丸山という名前だった。

 

高校生までは単車を乗り回し、喧嘩に明け暮れていたのでもちろん音楽に触れたことなどはない。

 

社会人になり、しばらくするとトラックの運転手になった。それから30年以上が経とうとしている。

 

中年にさしかかった頃から白髪が増え始め、容貌が音楽家のベートーベンに似てきた。

 

職場では彼の名前を知らずとも「ベートーベン」で通るようになった、それほど似ているのだ。

 

ある日馴染みのスナックで飲んでいた米藤に、マリという若い女の従業員が言った。

 

「丸山さん、ホントにベートーベンに似てますよね。いっそのこと『米藤』って苗字に改名しちゃえば?そうして、わたしのためにピアノでも弾いてください」

 

もちろんマリは冗談で言っただけだった。しかし米藤はその日珍しく気分が良く、「それも面白いかもしれねえな」と笑って答えた。

 

 

今考えれば何故そうしたのかは分からないが、翌日米藤は市役所に行き改名の手続きを済ませた。下の名前はもともと「勉」だったので、苗字だけ改名すれば良かった。

 

裁判所で貰った書類を提出し、確認した職員が一瞬目を丸くして「本当に良いんですね?」と念を押したことは言うまでもない。

 

名実ともに米藤勉となった日、米藤は何か気分がスッキリしたような気がした。これまでの自分の人生に欠けていたものを、ようやく手に入れた気分だった。

 

そして市役所を出たその足で、今度は自宅近所のピアノ教室にレッスンを申込みに行った。ベートーベンというぐらいなのだから、ピアノぐらいは弾けないとダメだと思ったのだ。

 

ところがピアノは思っていたよりも難しく、上達は困難を極めた。米藤の指が太く節くれだっているのも上達を遅らせる原因だった。

 

せめて「エリーゼのために」だけは弾けるようになり、マリに聞かせてやりたいと思っていたが冒頭の4小節もまだまともに弾けない。

 

「あのおじさん、ベートーベンみたいなのにピアノ下手だね」と同じピアノ教室に通う子供に言われて腹が立ち、レッスンも行かなくなってしまった。

 

 

もう一つ困ったことには、マリがスナックを辞めて故郷に帰ってしまったのだ。

 

自分の言った冗談を米藤が真に受け、実際に改名したことを聞くと怖くなったのだろう。米藤はさらにピアノのレッスンに行く理由を失い途方に暮れた。

 

 

改名してから数か月が過ぎ、もう名前のことなどどうでも良くなっていた頃に米藤は夢を見た。

 

薄暗い部屋の中、ピアノの前に座った男がこちらを斜めから見ている。長めの白髪、神経質そうな顔。男は肖像画などで見るベートーベンにそっくりだった。

 

「ピアノが弾けるようになりたいか?」男は低い声で静かに米藤に尋ねた。

 

米藤はどう答えていいものか分からなかったが、あまり深く考えずにうなずいた。

 

「では私の能力の全てをお前に与えよう、そうすればピアノぐらい簡単に弾けるようになるだろう。ただし、良いことばかりではないので心しておけ」

 

 

夢から覚めると米藤は久しぶりにピアノのレッスン教室に行った、男が言った通りピアノがスラスラと弾けるようになっている。

 

今までちんぷんかんぷんだった楽譜もすぐ読めるようになり、誰かがピアノを弾いていると音階もすぐ分かるようになった。

 

米藤はレッスン教室の先生に勧められ、タキシードを着てピアノを弾いている姿をユーチューブにアップした。

 

動画はすぐに反響を呼び、米藤は二か月後に市民会館のホールで何百人もの前で演奏した。

 

「ベートーベンの生まれ変わり」との触れ込みでメディアにも取り上げられ、海外からのオファーも届き始めた頃。米藤は異変に気付き始めた。

 

続く