葬儀のため名古屋へ | No pain,No gain

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大阪の3ピースバンドPainsリーダーのブログ。音楽、趣味や日常について綴っていきます。晩酌中の執筆が多いので辛口御免。
ビジネス関連のブロガーさんは申し訳ありませんがスルーさせて頂きます。

どうして葬式の日は雨が降るんだろ?涙雨かな。もしくは悲しくなるぐらいの快晴。

 

前の日曜日はスタジオ練習でした。京都大宮で激しいスタジオ練習を行い、その後立ち寄った居酒屋では過去に対バンした某パンクバンドと遭遇。

 

翌日は葬儀だったこともあってか、グシャグシャに酒を飲んでしまった。もしかすると関係はないかもしれないが(笑)

 

某パンクバンドとコラボ動画を撮影しましたので、またアップしようと思います。乞うご期待♪

 

 

月曜日は朝8時半に起床。名古屋まで3時間の移動時間を見越し、9時半出発。葬儀は13時からだったもんで。

 

途中サービスエリアに立ち寄り、しっかり昼食を摂ろうとしたものの時間はカツカツ。とりあえず葬儀場の近くまで行き、コンビニエンスストアで寂しい昼食となりました。昔よく立ち寄ったサービスエリアで「そば定食」を懐かしく食べたかったのに。トホホ。

 

名古屋の地名は音読みが多いですね。完全ナビ便りで目的地まで行きましたが「とうしんちょうの交差点を左折してください」と言われ、「とうしんちょう?凄い地名だ」などと思っていると「東新町」。

 

これは大阪では「ひがししんまち」ですね。もう一つが「へいでんちょう」→「平田町」これも大阪では「ひらたちょう」ですね。

 

大阪にも「水走」や「枚方」など、難しい読み方の地名はありますが名古屋は難しさの種類が違う。しかし、これでこそ長距離移動してきた醍醐味を感じる。ちなみに上記の読み方が分かった人はウチのドラマーから金一封が出ます、もちろん無許可(笑)

 

 

名古屋市東区に葬儀場はありました、親戚は千種区に住んでいたのでなんでだろ?と思ってましたが地理的には結構近い。

 

葬儀場に到着し、まずはハプニング。喪主がいない(笑)

 

僕は今まで小規模の葬儀にしか参加したことがなかったのですが、今回は中規模と呼んで良いかもしれない。30人ぐらい参列者がいました。

 

隣近所からひそひそ聞こえる話としては通夜を終え、明け方故人の奥様(僕の母の姉)がうたた寝をしてしまったと。それ故13時の開始時間になっても葬儀は始まらない、これ「あるある」なんでしょうか?

 

故人の息子である僕の従弟についても少し書こう、年は僕の5つ下ぐらい。アメリカンスクールに小学校から通っていたので英語はペラペラ。

 

彼が中学生ぐらいの時に一緒にカラオケに行く機会があり、彼はビーズの「ライアーライアー」を歌ったのだが英語部分だけがネイティブ(笑)「パラダイス」を「ぺルロダイス」と発音するので、僕始め他の従兄妹は全てその部分で爆笑。

 

また、常に自分が世界の最高峰に立っているぐらいの性格なので彼が20歳ぐらいの時に「俺はカリスマになりたい」と堂々と発言しても驚く者はいませんでした。「ははは」「はいはい」と。

 

んー、でもまあ。けっこう美形なんですよ。今はちょっと太ったからアレなんですが、昔は野球選手のダルビッシュとかジャニーズの手越君とかに似てました。ビジュアルバンド(化粧はしませんが)のボーカルもやっていて、彼らが大阪でライブをした時も僕は見に行きましたし。

 

帰りに彼らのCDを貰って、家に帰るとアドバイスしたい部分があったんでメールしました。すると「ありがとうございます」みたいな返事が来たんですが、やってみる気配みたいなのは感じませんでした。だから僕も「もうアドバイスするのはやめよう」と思いました(笑)

 

そのバンドも名古屋では人気があったようなのですが、芽が出ず解散。でもその後従弟はバンドメンバー達と会社を立ち上げたようです。何の会社なのか全然分かんないけど(笑)

 

最初は「会社のホームページを作っている」と言っていたのですが、次に会うと「貿易関係の仕事をしている」と言っていて。今回あった時も「比叡山にキングヌーのマネージャーと一緒に行った」とか話していたので、PCを使うメディア系の仕事をしてるんでしょうね。僕とは違うわあ。

 

楽器はギターぐらいしかできないのですが、歌はけっこう有名な先生にも習っていたらしいです。しかし彼の場合はPVを作るなど、「ショウビズ」「ルックス」の方が音楽よりも優先な気がします。そこが前述の「俺はカリスマになる」発言とも繋がりますね、僕とは違うわあ(笑)

 

 

少し話は逸れましたが、いわゆる「チャラい」従弟。母と共に20分遅れで会場入り。周りに促されるまで大阪からはるばるやって来た我々の存在にも気付かない。うーん、BIGだ。

 

故人についてはそれほど思い出がない。昔は正月になると母方の祖母の家に親戚が集まった、しかし年によって来るメンバーは変わる。なので印象に残っているのはそのうちの2回の正月ぐらいだろうか。

 

まあとにかくヤ○ザなので(笑)眼光は常に鋭く、語気も小気味良い。正月などは常に酒を飲んでいたが酔っぱらっているところなどは見たことがないですね、常にテーブルの中心に居て「俺はこう思う」みたいなことを話していた印象です。熱い人でした。

 

それでも何故か僕の名付け親なのですね。僕と従弟の名前には「亮」という字が入っていて、それは諸葛亮孔明に関係があるのだとか。なので僕はこんな知的な大人になったのかな(笑)

 

しかし冠婚葬祭、ガチビジネスですね。故人は晩年、歯がなかったようですが亡骸は口が開いてしまっていた。

 

その口を閉じさせるのに数万円。ほんとにその辺りは気持ちの問題ですが、やり出すと切りがない。結婚式もそうだしな。

 

読経と焼香を終え、焼き場へ移動。霊柩車を先頭に4台が連なって走る。

 

僕が普段仕事をしている時にも、こういったシチュエーションで道を走る車がいるのかもしれないと思った。前の車からはぐれないように、必死に車線変更してくる車。世の中には様々なシチュエーションで走っている車がいるのだ。

 

 

焼き場は、その辺りでは一番大きなところらしくしっかりした施設でした。

 

まずは炉に亡骸を入れる前に最後のお見送りですね、合掌です。

 

涙に暮れる奥様の方を優しく抱く従弟、同じ立場になって僕にもこんなことが出来るかな?と思いました。

 

その後は待合室に移動、我々親戚一同と従弟の会社の従業員。15人ぐらいでしょうか。

 

15畳ぐらいの部屋に通され、収骨を待ちます。僕は昼ごはんを食べ損ねたので、一人だけガッツリとスパゲティーを食しました(笑)

 

そこで故人の死因を奥様から聞かされました、一応は老衰ということなのですが。

 

母の話によれば一週間前程から、あまり食べ物も食べなくなっていたと。準備が始まっていたのかもしれません。

 

87歳ということで痴呆も入ってきたと聞いていましたが、奥様が仕事から帰るとベッドから落ち泡を吹いて呼吸もしていなかった。

 

朝に食べたアイスクリームが逆流して喉を詰まらせたんじゃないかと推測していました、それでも老衰という死因になるのですね。

 

従弟が救急車を呼び3万円取られたことに驚いた旨を話していました、近頃の救急車事情は厳しい。

 

 

少し文章が長くなったので残りは明日書くことに致します、備忘録ですのでもう少しお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

我がバンドのベーシストが王道のライブ宣伝ブログを書いてくれていますのでリブログします、「演者に酒を奢る権利」なるシステムがあるユニークなライブハウスの宣伝も(笑)あとはツイキャスやライブハウスのHPなども乗せてくれています、それではまた☆