秋元康7度目の挑戦 | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
乃木坂46「Route 246」制作の経緯を巡る秋元康の発言に接し、「やっぱり」と云う印象を強く抱いたものである。
http://chikakb.ldblog.jp/archives/57813722.html


小室先生は最初、先生的イマドキの曲を作って送ったわけである。が、秋元康的には「これは違うな」と。それで八方塞がりとなったところで「もうどうでもイイ…えいや!」とばかりに送った曲が採用となったものである。恐らく、最初に送った曲の方がカッコ良かったことは良かったのだろうと思う。しかし印象は薄い…なぜ小室哲哉に依頼したのかと云うところが出てこない代物だったのだろう。それで漸く、7度目にして典型的な小室哲哉らしさと云うものがプリミティヴな形で出てきたところでGoサインを返した、と。

新しい音を追い掛けることは小室先生らしいところではある。けれども新しさを追うことは、時代の波に取り残されまいとする焦燥感の部分では大変さがあるものの、自分と向き合うことをせずに、或いは表現を深く探究することをせずに制作することが出来る点で非常に楽なのだ。新しいから新鮮に映り、したがって新しいから未熟でも許される。白い雪のように新しさが地の実相を覆い隠してくれる。

新しいものを追い掛けるのが小室先生のスタイルだった。けれども若いうちはそれで良くても、年を取ってからもそれで良いのだろうか。やはり、若い頃よりも感度や感性と云ったものは衰えてくるのではなかろうか。しかし年を重ねた分、内省的視点から熟成させることは出来るのではなかろうか。新しいものを追い掛けていつまでも未完成とするのではなく、完成を目指して、自らのキャリアの総括へ向けて、昔の自分と嫌がらずに向き合うことが大切であることを、本作を聴きながら痛感した次第である。