安倍ノ塩梅アンパイヤア | 人はパンのみにて生くる者に非ず 人生はジャム。バターで決まり、レヴァーのようにペイストだ。
検察庁法改正が著名人をも巻き込んで話題になっているが、安倍政権がコロナ禍を「ステイホーム」と云う形で温存させる理由が見えてくるものである。本来の政権の性格からすれば、コロナ感染恐れるものぞとばかりに経済を平常運転させる筈なのだ。汚染を全て風評被害扱いにしている原発事故対応のように。ところがコロナ禍に於いては、その片鱗こそ見せるけれども、よく自重している。それはこの機に乗じて、やりたいことを進めてゆくからに他ならない。何せ、デモ出来ない、集会も出来ない。コロナ禍がなければ、著名人も多く参加したデモ隊に国会が取り囲まれているに相違なかろう。もちろん、大目標としては憲法に緊急事態条項を加えたいから、安倍政権らしからぬ「人権重視」の姿勢で強権発動は手控えている。本音は面倒臭いから諸々の対処をおざなりにしているが、彼らの内にある大義名分としては、緊急事態条項を通さんがためである。

しかしこれで検察が政権の傘下に入ることになれば、検察の独立性は低下するが反対に日本の独立性は高まることになる。アメリカが刃向かう政権を検察を使って潰すことが出来なくなる。但し権力は必ず腐敗するから平時に於いては「目的外使用」のオンパレードになる。政権や政権与党が国家の上に立つことで国家の私物化・傀儡化が進行し、併せて全体主義化も進行する。早い話が中国のようになると云うことだろう。さんざんアメリカの世話になり、経世会から覇権を奪った清和会の政権がこう云うことをやると云うのも面白い。戦争の英雄ラビンだからこそ中東和平を推進することが出来たようなものか。アメポチ政権を永続させるために制度をいじるわけだから、本来的には宝刀を封じられる恰好のアメリカ様も容認するだろうと云う話であるとすれば、上手い。

互いに牽制し合う三権分立と云うのは国内で完結する分には良く出来た制度設計なのだ。これに第4の権力としてマスコミが加わる。しかし現実には「外国」や「世界」と云うものが存在し、その影響を受ける。そして分立しているほどその余地と云うものは拡大される。行政権が全てに優越する状態になれば国家主権は高まる。が、肝心の国家それ自体は行政権を握る者によって私物化・傀儡化される。頭の痛い話である。

お友達への偏愛が過ぎる安倍政権だが、要するに親しき仲で固めて、外部からの干渉を防ぐことで独立性を担保すると云うことである。能力よりも信用を重んじているわけである。確かに安倍政権は「日本を取り戻す」ために頑張っている。しかしこの政権は、権力術と云うものには長けているけれども、統治能力と云うものがまるでない。権力術に特化しているような性格の政権であり、その適切な使い道と云うものはよく分かっていない。彼らが宗教的だからだ。彼らにとって国とは、料亭やバーの中の空気に過ぎぬ。