素直に受け入れる心を持つ | 「仏道は遙かなり(>_<)」~在家子育て尼僧の徒然☆

「仏道は遙かなり(>_<)」~在家子育て尼僧の徒然☆

日常の出来事や、今までの間違った経験を恥ずかしげもなく綴るBlog。
こんなヤツでも仏の道を志して良いんです。
ま、自分なりに真っ直ぐに行きましょう。ちなみに日蓮宗です☆

パブロン先輩、敗北。。(笑)叫び
そのうち良くなるだろうと思ってましたが体調全然良くならず、リンパも腫れていよいよ厳しくなってきたと思い、ついに病院に行ってきました。いやー早く行くべきでしたね、あっという間に治ってしまいました。お医者様最高☆

ありがたや、ありがたや。心より感謝申し上げます。キラキラ

ということで遅くなりましたが、第二期信行道場が無事終了しましたね。
新しい教師の方々おめでとうございます!アップ
35日のお疲れと足の痛みが早く癒えますように。

今期の道場生は皆様とても素直に先生方の教えを吸収されておられたと聞きました。素晴らしい道場生活だったのでしょうね^^
師となる先生方の教えを素直に受け入れるというのはとても大事なことだなと、自分の道場を思い出しています。

私が道場生だった際のことです。
唱題行脚が気持ち良すぎて(と書くと怪しいかもしれませんが、身延のお山に響かせるお題目、お唱えしながら歩くのは本当に最高の気分なのです><)ついテンションが上がってしまいます。
それで、「南無妙法蓮華経↑↑」などと語尾がついつい上がってしまったりも致します。
すると、横についている先生から「ヘンな節つけない」とピシャリ、指導が入りました。あせる

また、一日の最後に読誦行がありました。
お経を読むとき、覚えるために少し節をつけて読んだりとか、読み癖があったりするという方は多いように思います。

そこでもご指導頂きましたのは、此処(道場)は“基礎”を学ぶ場所だから。素直に読みましょう、ということでした。自坊では違うかもしれませんが、自坊に帰ったらそのようにされても構いませんが、此処では基本通りにしてください、と。


今まで自分のお師匠さまや周囲の方々と一緒にお唱えしてきたやり方もあろうかと思います。そして日本全国、それぞれに違う部分もあるでしょう。
顕著な例でいえば、方便品の十如是部分は、関西には独特の読み方があります。
静岡・富士宮市重須本門寺根源さまでは、引き題目という独特の唱題の唱え方があります。
(コチラは特殊な例かもしれませんが)
それぞれに、その地域で育まれた読み方や、やり方。それが自分にとってのスタンダードであったならば、それ以外を受け入れるのは戸惑い、疑問も感じ、難儀することもあるかもしれません。
が、やはり「教えの場」にあれば、師の教えることをただただ素直に受け入れることが大切なことだと思います。それは決してお経やお題目の唱え方だけに限らずです。教えを頂く姿勢は「素直であること」が大事なのだということです。

そんなことを、思い出しました。

.:*゚..:。:. .:*゚:.☆○o。 。o○☆ .:*゚..:。:. .:*゚:.

例えばここに、二つのスポンジがあります。一つは、まるで水を含んでいない乾燥したスポンジ、そしてもう一つは水を含んだスポンジです。新たに水を吸う場合、どちらのスポンジが適しているかといえば、当然乾燥したスポンジです。すでに水を含んでいるスポンジで、新たに水を吸うことは至難で、また乾燥したスポンジと比べると、その量は少ないものになります。あるいは、ここに同じ容量のコップが二つあります。片方のコップは空で、もう片方のコップには水が半分注がれています。どちらのコップに新たに多くの水を注ぐことができるかといえば、当然空のコップです。確かに注ぎ終えれば、その量は同一ですが、混じり気のある水と、混じり気のない新鮮な水の違いがそこには存します。
私たちが先生あるいは師匠から、新しく教えや技術などを学ぼうとするとき、時として自身の価値観や先入観、更には積み重ねてきた経験や知恵、知識などが弊害となり、正しく学べないことがあります。誤解を恐れずに言えば、学ぶ者、教えを乞う者の姿勢として、無条件に師となる人の教えを素直に受け入れることが必須と思われます。ですから何はさて置き「師」を選ぶということ、あるいは「良き師」に出会うということは、非常に大切なことであるといえましょう。

(みのぶ誌/2017年7月号・『法華経に学ぶ』村尾泰孝先生より引用させて頂きました)

.:*゚..:。:. .:*゚:.☆○o。 。o○☆ .:*゚..:。:. .:*゚:.


▲「みのぶ」2017年7月号。

「自身の価値観や先入観、更には積み重ねてきた経験や知恵、知識などが弊害となり、正しく学べないことがあります」とありますように、ときにこれらを捨てて空っぽにすることが出来ないと、自分自身が苦しむことになるんだろうなと思います。

また、前述の文章は次のように続きます。

.:*゚..:。:. .:*゚:.​​​​​​​☆○o。 。o○☆ .:*゚..:。:. .:*゚:.​​​​​​​

逆に「師」を見誤れば、正道から外れ悪道に導かれてしまいます。そのことについて日蓮大聖人は『涅槃経』の文を引用なされ「悪象に対しては、何も恐れを抱くことはありません。しかしながら、悪知識(悪師・悪友)に対しては警戒し、注意を払わなければなりません。悪象は凶暴で人の身体を傷つけたりしますが、心までも破壊することはありませんし、またそうすることもできません。ところが、悪知識は身体も心も破壊するので大いに注意をする必要があります。たとえば悪象に殺されても地獄・餓鬼・畜生という三悪道に堕ちることはありませんが、悪知識という悪師、悪友に交われば必ず三悪道に堕ちてしまいます。またこの悪知識は、甘い言葉をもって語らい、詐って媚び諂い、言葉たくみに愚かな人の心に親しみ、善き心を破るから気を付けなさい」と注意を促しておられます。

.:*゚..:。:. .:*゚:.​​​​​​​☆○o。 。o○☆ .:*゚..:。:. .:*゚:.​​​​​​​


環境や思い違いに惑わされることなく、良い師になれるよう、善き生徒として良い師について学び、日々精進ですね!
「随喜見聞、恒に主伴と為る」人みな我が師であります。星

合掌 三拝

 

↓オマケ☆

▲小さなバッタの赤ちゃん発見♪

 

暑さに参って米粒が喉を通らず、麺類ばかり頂いております。庭の青じそ大活躍。

いつものごとく、ワサワサの葉っぱを頂きに行きましたら、バッタの赤ちゃんが・・ラブラブ!

可愛いー。小さいものは何でも可愛い。バッタも青じそ食べるのかなあ。

育ち過ぎたパセリを抜いたら、アゲハ蝶の幼虫が3匹ついてました。コチラの写真はニガテな方もいるかもしれないので、UPするのはやめておきますね。(笑)