3月のお朔日ですね^^ 身を切るような寒さはなく、あったかいです。
先日、京都大本山・妙顕寺さまにて行われました、全国日蓮宗青年会による行学道場に参加させて頂きました。
▲池上会長さまによるご講義。お人柄もあって、お話自体もとても面白かったです。
日蓮宗には「日蓮宗全国檀信徒協議会」という、お檀家さん信徒さんの協議会があります。
お檀家さんの関係性を重視する「協議会」が存在するのは日蓮宗くらいなのだとか。
講師は協議会会長を務められる池上幸保会長(大本山池上本門寺・本山大坊本行寺筆頭総代)で、「檀信徒の本音を聞きたい:これからのお寺を考える-青年僧への応援歌」と題され、僧侶やお寺、宗教の在り様について多方面からお話下さいました。
一僧侶として色々と大変耳が痛く、姿勢を正すべきと思うところがたくさんありました。
「坊さんは“こうあるべきだ”とは言わないけれど、僧侶と檀信徒・我々一般人とは違っていて欲しいという願望がある、僧侶は魂の救済者であって欲しいと思っている」というお言葉に、我が身を振り返りつつも一層の精進を誓うのでありました。
▲会場。この日の京都は暖かくて良かったです。京都ってそんなに寒くない、というかいつも暑いように感じます。
また、現在お仏壇や御宝前があるご家庭は概ね25%ほどらしいです。習慣として神仏を拝むことがなく、目に見えないものに手を合わせるということがない。
教育評論家の尾木直樹さん(通称:尾木ママ)の調査によれば、手を合わせられる子は「人に対する優しさが違う」らしいです。
「自ら学ぶ力」を育てる心理学の研究を長年されておられる京都教育大学、伊藤崇達(いとう たかみち)教授との調査によりますと、通学路に神社やお地蔵さんがあったかどうかという調査では幸福度が違うという結果も出ているそうです。
何か「見守られている、見られている」ということで安心するのではないかということでした。これには大いに共感でした。
余談ですが、以前にも書いた気がしますが駐車場に「仏さまが見てますよ」と書いた看板がありました。若かりし頃の私、実はそこに「ちょっとだけだからイイだろう」と無断駐車しようと思っていたのですが、そう書いてあったら・・出来ないのでした。やましい、後ろ暗い心を見透かされたようで・・無理でした。恥ずかしい思いでその場を後にしました。
多分私のような不届き者は多かったのでしょう、その看板を立てたことで、おそらくそういう輩は激減したであろうことは想像に難くありません。(笑
まあこれはどちらかというと「抑止力」のお話ですけどね・・
ほか、お寺の役割やこれからの開けたお寺づくりについても様々なご提案・事例報告を頂きました。
そして何より「日蓮宗のファンだから」とエールを下さったことが、本当に心強く思われました。日蓮門下として、仏弟子としてそのエールに応える働きをしなければならないなと思いました。
▲天皇陛下だけが通れる勅使門に通じる美しいお庭「四海唱導の庭」。勅使門は後醍醐天皇の頃からあるということです。
開会式では本堂で、大勢の方々でお経をお唱え致しました。本当にゆっくり、ゆっくりとお唱えしましたお自我偈は、胸のなかから幸せな気持ちが溢れ、満たされるような思いでした。
小さな頃に、親や祖父母の温かな羽交いに包まれて安心して眠ったことを思い出します・・
大人になって、そんな風に、誰か自分より絶対的な存在、大きな存在に包み込まれ安心感を得るということは殆どなくなりました。自分が大きい存在でなければならない・・そのためにも、がむしゃらにやらなければいけない日々。
大人って大変ですよねー。。親のありがたみとか色々が、今頃分かるっていうか。
だけど、そんな風に頑張る自分のことを、絶対的大きい存在に、ただただ包んで欲しいと思うときって大人になってもあるじゃないですか。
(男女のそれとは違う)
現実にはそんなことはあんまり無くて、自分で考えて自分で歩いて行かないといけなくて。
そんなとき、お釈迦様のお心を拝し、じっくりゆっくりその幸せに身を浸す時間を、この大本堂で、たくさんの方と一緒に頂く。
とても穏やかな気持ちになりました。やっぱりお寺って素敵です。
皆様も、「なんだかちょっと考え過ぎだな」と思ったようなときはぜひお寺にお参りされてください。お坊さんに一言お声をかけて、本堂で仏さまのお顔を拝し、お経を知らなくてもお題目をお唱えする、それだけで温かくて穏やかな気持ちが湧き上がってくるのを感じられると思います。
だって誰もがお釈迦様の子どもなんですからね。
その後、茶話会(お茶菓子を頂きながらのグループトーク)。10数人ずつに分かれて、それぞれ思うところを話し合いました。
▲お坊さんだけじゃなく、お檀家さんもご一緒に。忌憚なき意見を交わすことができました。
そして第2部のパネルディスカッション「檀信徒の皆様と考える、これからのお寺のあり方」池上幸保氏×上田尚史師(専任布教師、日蓮宗新聞編集委員、本光院住職)×曽根督氏(京都護国寺青年信徒団「廣宣流布会」会長)も大変楽しく、勉強になりました。仲間ってイイですね。
小さなお子さんがいるのに大変なのでは?と思っておりましたが、違うんですねえ。お子さんたちも巻き込んで、自分の家だけじゃなく、たくさんの家族を巻き込んで、次世代にも繋いで拡げていく。
政治家は「国家100年の計」を想う、と言いますが、僧侶の世界も未来を見据えて実践していくことが大切だと思いました。大変だろうが何だろうが、やるかやらないか、それだけだなと。
▲パネルディスカッション・質疑応答の様子。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流るべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」とのお言葉通り、未来までも流布していくのが僧侶である私たちのつとめであります。
お坊さんも、堅苦しいばかりではなく、しかし間違った方法ではなく、時代に沿って使えるツールを駆使しつつ開けていかなければならないなと!
そして老若男女問わず、分かりやすく伝えられる、そんな僧侶になりたいなと。改めて思いました。
▲日蓮宗全国檀信徒協議会発行のリーフレット「合掌」と「えほん合掌」。分かりやすいです。お取り寄せも出来るそうですよ。
講師先生方、裏方スタッフとしてご尽力下さいました全日青の皆様、大役大変お疲れ様でございました。
そして、お声掛け下さった地元能勢の寺庭婦人様。皆々様に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
▲駐車場には本山妙覚寺さまをお借り致しました。ありがとうございました。
合掌 三拝
南無妙法蓮華経