今、長男はギターを習っています。
長男は「プリキュア」という女子向けアニメのエミルという女の子が好きで、エミルはエレキギターが好きなお嬢様キャラ。その子に感化されてギターをやりたいと言い出したのです。
▲BUMP OF CHICKEN藤原君のGibson J-45に憧れて買ったアコギ。藤君は黒だけど、黒がニガテな私は赤を。もちろんギブソンではありません「エピフォン製イシバシモデル」です。買っただけで眠ってましたがココにきてようやく役に立ってる。笑
音大出身の友人に紹介して頂いたギターの先生。
ピアノを教えられる先生はたくさん居るけれど、ギターとなるとグッとその数は減り、さらに子ども相手に教えられる、かつ障害者相手となると、殆ど居ないらしいです。
体験に一度行ったら、歩き回るし言うとおりに抱えてくれないし弦は全部持つしジャガジャガ弾いちゃうしで全然無理っぽいなあと思いました・・散々ふざけたあとで「どうするの? やりたいかやりたくないか、アナタが決めなさい」と聞いたら「やりたい」と言うので、先生と協議した上で習わせて頂けることになりました。
大勢のお教室ではなくマンツーマンというのも集中できるし助かります。
※このギターは大き過ぎるけど、本人が気に入っているし、楽器に親しむところからスタートだから今はコレで良いとのこと。
しかしその翌週辺りには既にエミル熱が冷めた長男・・
「ギターやりたくなーい」だって。
こうなるのも予想できたんだよなあ・・はあ。ため息。
しかし、自分がやりますと言ったからには断じてやり遂げさせるぞ。
なので行く前にもあとにも、こんこんと言って聞かせました。
「先生は大切な時間をアナタのために使って教えてくださってるの、お母さんも大切な時間を使って送り迎えして(片道1時間ですからねー)、お父さんお母さんが一生懸命働いたお金をたくさん使って習うんだよ。○○くんのお母さんだって、良い先生を紹介してくれたんだよアナタがやりたいと言ったから、アナタのために、たくさんのひとが全力で応援しようとしてる。だからキミも真剣にやらなくちゃ申し訳ないでしょう、行くといっておいてやっぱやーめた、なんて通る訳がないでしょう、筋は通しなさい、わかるな?」などなど・・
それでも3回くらいはのらりくらりしていて、毎回同じこと言うのもだんだんしんどいなあと、分かって貰えそうもないことに心折れそうな気持ちでしたが、ふと「頑張ったら今日の帰りにマクドナルド買ってあげようかな~(※今ハッピーセットのおもちゃはプラレール)」と言ったら、今までに無いほどシャキッとして、足も台においてギターもちゃんと持って、弦も一本ずつ弾いて・・とにかくメロディを奏でるまで集中して、時間内に一度も席を立ちませんでした!!
▲体幹もしっかりしてきたので指先の微細運動も効果があります。指先を使うことは脳の活性化にもなりますから、教養に加えて良い習い事と言えるでしょう。先生には根気が要ることで大変、大変有り難いです・・
子どもに義理だなんだの正論は通用しないというか、、当たり前だけど実利で釣るのも有効なのねと思いました。
もちろん、言って聞かせることは大事ですが・・
それにしてもこの変わり身。やればできるじゃん。最初からやりなよ。笑
やってみて面白くなったのか、次回が楽しみだとも言ってくれました。わー嬉しい、涙でそー・・><と思ったけど単にマクドナルドで餌付けされただけかもという気も。。
ちなみに普段マクドナルドは食べさせてないですからね。余計に嬉しいのかもです。笑
音楽って良いよね。
音楽とお酒と笑顔は万国共通語!ですからねー。
今は子どもにギターのカッコいいビデオなども見せたり(もちろんBUMPさんやで)して、だいぶ興味が出て来たようです。
電車しか興味の無かったこの子が・・ディズニーランドでさえも楽しめなかったこの子が。
時間が経てばそれなりに落ち着いてくる部分もあるもんなんですかねー。
最初に憧れの対象となる人を探すのが良いかもしれないですね。今、この子が得意なことって全部好きな人の真似から入ってるから・・キーパーソンを見つけるのが一番なのかも。
▲ちょっと出来たのをものすごく褒められたのが嬉しかったのか、ニコニコ弾いてるのが母としても嬉しい。
アメリカに長年住んで音楽療法士として介護やリハビリの現場で活躍された佐藤由美子さんという方がおりますが、その方のブログをご紹介&引用させて頂きます。
~あなたは弱者というカテゴリーに振り分けられ、「かわいそう」と思われたいだろうか?~
私は長年アメリカに住んでいるが、アメリカ人と日本人では障がいに関する考え方が大きく違う。そもそも英語では障がい者(disabled people)とは言わない。障がいを持つ人、障がいと共に生きる人(people with disabilities)という言い方をする。子どもの場合は、障がい児(disabled children)とは言わず、特別なニーズのある子ども(children with special needs)と呼ぶのが一般的だ。あくまでも「人」に焦点を当て、私たちには人間として同じ権利があることを強調する。
・・中略・・
このような社会では、障がいや病気のある人を「弱者」とは呼ばない。もし、彼らを "weak people(弱者)"などと呼んだら、アメリカ人は間違いなく「差別だ」と言うだろう。もし、障がい者が「社会的弱者」であるとしたら、社会が変わる必要があると彼らは考えるのだ。
「弱者」の代わりに英語では、「バルネラブルな人たち(people who are vulnerable)」という言い方をする。日本語にはない表現で、「弱者」とも意味が違う。バルネラブルは、障がいの有無を問わず誰もが経験することだ。たとえば、言葉の話せない国に行ったとき、暗い夜道を一人で歩いているとき、風邪にかかったときなどには、バルネラブルな状態になり得る。
私が生まれて初めて、長期間このような状態を経験したのは、19歳でアメリカに渡ったときだった。英語がほとんどできない状態で大学に通いはじめた私は、すべてのことにおいて助けが必要だった。どのように大学のクラスを取ればいいのか、宿題は何なのか、どうすればバスに乗れるのか、シャワーはどう使えばいいのか。当たり前のことがわからなくて本当に困った。とにかく助けてくれそうな人を捕まえて、慣れない英語で何とかわかってもらおうとする日々だった。
このような状況が1年ほど続いた頃、心身共に限界を感じた。常に助けられる立場にいるということが、いかに疲れることで苛立つことかを初めて実感したのだ。
この経験は、後に音楽療法士となり、障がいや病気と共に生きている人たちと接する上で役に立った。私には障がいや病気はないかもしれないが、バルネラブルな状態になったことは何度もある。その点で共感することができるからだ。
・・・
ということで文章が続いていくのでありますが、この「バルネラブル」という単語には大いに共感を覚えました。日本語に訳がないらしいですけれど、説明がお上手なのでどういう状態かは理解できます。
ぜひリンク先全文をお読み頂きたいと思います。障害者に対する考え方が日本でも熟成されることを願って・・
また、佐藤さんは子どもだけじゃなく老人介護の現場のことや日本とアメリカの比較など、音楽療法士的視点から面白い考察を多く書いておられます。
大変読み応えがあり勉強になります。ご興味のある方はぜひどうぞ。
(C)The Huffington Post Japan/佐藤由美子