『どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケの信徒への手紙一/ 05章 18節)
すばらしい御言葉です。しかし、この御言葉を守るために迫害されても感謝、殴られても感謝しなければと頑張っている人がいます。
そして感謝し、その人を赦そうと努力します。しかし苦しそうです。喜んでいるようには見えません。
キリストは本当にそんなことを望んでいるのでしょうか。それとも使徒パウロが的外れなことを言っているのでしょうか。
『兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。
すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。
お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。』(テサロニケの信徒への手紙一/ 05章 14~17節)この後に、『どんなことにも感謝しなさい』と続きます。
パウロが進めていることを分り易く書き換えると、
・怠けている者たちを戒めなさい。
・気落ちしている者たちを励ましなさい。
・弱い者たちを助けなさい。
・すべての人に対して忍耐強く接しなさい。
・だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。
・お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。
☆いつも喜んでいなさい。
☆絶えず祈りなさい。
◎どんなことにも感謝しなさい
すべて並列だと思います。その中で迫害などは、『悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。』が該当しそうです。
なぜなら、怠け者には感謝していません。気落ちしている者たちに感謝はしていません。他については説明の必要はなでしょう。
人に対することは、戒める、励ます、助ける、忍耐強く接する、悪で悪に報いないよう気を付ける、善を行う、など具体的に書いてあります。
いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝するというのは、そうすべき人もいると思いますが、神に対するものなのだと思います。
神を絶対善だと信じ、迫害からも善を作り出す神に希望をもって、信じ、感謝し、喜び、期待するのだと思います。人ではありません。
苦しいのは、「・」を見ず、すべての人に感謝しようとするからです。聖句を切り取って実行しようとすると、こういうことが起きやすいのです。
『神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。
文字は殺しますが、霊は生かします。』(コリントの信徒への手紙二/ 03章 06節)
聖句などを暗記し、文字通りに実行しようとすると悪霊に利用されたり嘲笑される可能性があります。
悪魔の唆しに乗って迫害しに来る人が絶えなくても、彼らに感謝し続けていると言っている人がいます。悪魔の嘲笑が聞こえてくるようです。
そして望み通りにどんどん嫌がらせをさせてくるでしょう。それでも感謝し、常に喜ばなければならないのですから、指を指して腹を抱えて笑っていると思います。
そういう環境で感謝し続けている人は、立派ですが、実は笑われているかもしれないのです。
こういう人は、実際に人の口や自分の思いを通して神が導いても、聖句と違うから悪魔の導きだなどと思ってしまうことが多々あります。
そして、イエスの名によってそういう思いを追い出します。相手を知らないのです。神は無理強いはしませんから、聞く耳を持たない人を癒せません。
文字は閉じ込める最大の道具になるのです。こういう人は、実はまだ律法主義の霊に仕えているのです。
「キリストは、何のために来たのか、聖書とは何なのか?」という所から入ることが重要だと思います。
聖書を一部読んで、それを自分の価値観に当てはめ取捨選択するとどうなるでしょうか。
『わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。』(マタイによる福音書/ 07章 26・27節)
聖書はこういうものです。『あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。
ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。』(ヨハネによる福音書/ 05章 39節)
キリストが来たのはこういうことです。『わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。』(ヨハネによる福音書/ 10章 10節)
そして、神はこうも言っています。
『わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。』(ホセア書/ 06章 06節)
生贄とは、神がいつも感謝しなさいと言ったから、自分を犠牲にしてでも神のためと思い感謝することなどです。
神を知りましょう。神は愛であり、文字による束縛から解放するためにもいらっしゃったのです。
今までの信仰とは違うので受け入れ難い人もいるでしょう。少しずつでもいいと思います。文字を信じず、愛を信仰の対象に入れ替えましょう。
こうなってしまわないようにお願いします。『それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
互いに相手から(仲間や尊敬している人)の誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、
どうして信じることができようか。』(ヨハネによる福音書/ 05章 40・44節)
アーメン
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悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。(コリントの信徒への手紙二/ 06章 10節