無神論者の人などが、強いて言えば神は何かとたずねると、大自然という人がいます。実は私も、かつてそう思っている一人でした。

 

それが、目に見えない超常的なことを否定できなくなり、最終的にキリスト教の神にたどり着いたのですが、これは余談でした。

 

さて、大自然は確かに偉大です。すべてに調和がとれています。全く無駄がなく、すべてにおいて法則(秩序)が存在します。

 

それは、物理学や生物学、数学によってもすべてではありませんが、証明されています。今後もどんどんそのながれは続くでしょう。

 

その自然の法則から、宇宙は生まれ、星が生まれ、生物が現れ、進化が起こり、人間が現れたと考えれれば、確かにそう感じます。

 

対して、このような秩序だった環境が本当に放っておいてできるのだろかという意見や、生物誕生から人間に進化するまで計算が早すぎるのでは、

 

などということも聞きます。その意図することは、何らかの意思が働いているということでしょう。

 

①大自然は無機的な法則だけの物か ②実はそれ自身意思を持つ有機的なものなのか③それは単なる神の作品で、神の意図が働いているのか

 

という3つに分かれると思います。しかし、今回の本題は①か、②③かとも言えそうなので、②と③についての説明は省きます。

 

まず、大自然によって、人は生まれたということまでは、区別が難しいと思います。しかし、その大自然の秩序の中に人は完全に入ってるでしょうか。

 

もちろん入っている部分もあります。しかし、食物連鎖に人は収まっていません。頂点という見方もできると思います。

 

しかし、ライオンやシャチなど、人間を除いた食物連鎖の頂点にいる生き物は、ある程度の増えすぎず減りすぎず数が保たれています。

 

その数がすべての生き物の数を保つ原動力になっています。しかしこれは、弱い個体が犠牲になるというなどの法則で、彼らの意思とは別に成り立っています。

 

彼らは、自然の法則の管理下と言えます。対して人間は、それとは関係なしに人口を増やし続けました。食物を家畜や稲作などで自分の意志で増やしたからです。

 

他にも、他の動物とは違い、人には発情期がありません、否、常に発情期ということです。これは、子孫の数を自分である程度調整できるということです。

 

そして、人の選択により、食物連鎖を崩すことも、環境を破壊することもできます。人は、大自然の管理下で秩序だっている生き物ではありません。

 

実は、大自然を神と言っている人は、自分がその神の中に収まっていないどころか、部分的に管理していることで、それが違うということを確認できます。

 

言い方を変えると、人は、この世では特別ば存在であるということが言えます。それは神の意志でそうなっているのです。

 

『主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。

 

人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。』(創世記/ 02章 19節)これは生き物だけのことではないでしょう。

 

この世のもののすべての名称は人が付けており、人に有益かどうかも人が決めています。『人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、

 

自分に合う助ける者は見つけることができなかった。』(創世記/ 02章 20節)神が与えたものをどうするかは人が決めているのです。

 

しかし、自分で創造することはできないのです。すべては、神が準備しています。※自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

 

実は、大自然はすべて人のために神が創造したというのが、神の意思です。そしてその管理を人は任されたのです。創造だけはできませんが。

 

『神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう

 

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。(男と女に創造された。)」』(創世記/ 01章 26・27節)

 

では、その動機のゴールはというと、神が人を愛したからということはもちろんですが、はっきりと新約聖書でキリストが言っています。

 

『もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたをと呼ぶ。

 

(父から聞いたこと(=神の御業)をすべてあなたがたに知らせたからである。)』(ヨハネによる福音書/ 15章 15節)

 

「神の御業を賛美するために人は創造された」ということを聞いたことがある人は、いるかと思います。

 

それは、神は人を御自分の御業の偉大さを知り、分かち合える友人とすることが大きな目的でした。

 

そのために、この世=大自然を創造し人に任せたのです。それは、すでに書いた、食物連鎖の例などで垣間見ることができます。

 

知恵と知識の木も、実はそのために必要な木であったとも言われます。人口、地球の環境問題が人にのしかかって来るのは実は当然なのです。

 

人を他の生物と同等と扱いたがる人たちがいます。無駄な殺生を肯定はしませんが、全く別なのです。

 

大自然の管理下であるという思いを引き起こす悪霊などの唆しにより、さらに自分の上にいる神に、人間の生贄を捧げるなどという発想がでるのだと思います。

 

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