さて、前回の続きです。この例えは非常に難解です。多くの司牧が多様な説明をしていると思います。
もちろん、それらは違って見えてもしっかり説明しているのですが、いずれも全ては語りきれません。
もちろん今回の説明も例外ではありません。一部のみ語る不十分なものです。とりあえず、以下例えを読んでみてください。
〈イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。
そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。
もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。
土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、
自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、
『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。
『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。
『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』
主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。
そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、
あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。
ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、
だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。
どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」〉(ルカによる福音書/ 16章 1~13節)
ちょっと長いです。そして横領を指摘され解雇通告されたにもかかわらず、さらに横領を繰り返します。
そのことを、主人が褒めます。主人は神を表しているのは『この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。』
という部分で分かるかと思います。主人の言うことを破り、さらに同じことを繰り返すことを賞賛しています。信仰がくずれてしまう人もいそうです。
「神様、何をいっているのですか?それとも訳がおかしいのですか。または聖書が誤って伝わってしまったということですか?」という声が聞こえてきそうです。
『正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。
全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」』(創世記/ 18章 25節)アブラハムにも怒られそうです。
そこで、まずは、主人は神、富はこの世(の権威)、不正とは、ここでは犯罪に見えてしまいますが、神以外の権威とします。
「借り」は神に対する罪。家とは永遠の住まいであり、仲間の家ではありません。もちろん天国です。しかしこれら(借り以降)に関しては今は置いておきます。
これらを入れると、不正な管理人はキリストで、時が来ていない(旧約がまだ有効な時)のに、人であるキリストが罪を赦し(不正)=借りを減らし、
などという複雑な見解が入ってきます。作り話ではないと思いますが、我々がどうすべきかと離れる可能性があります。
『作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、
むしろ無意味な詮索を引き起こします。』(テモテへの手紙一/ 01章 04節)
今回言いたいことは、不正な富とは、世の権威であり、不正とは神に対して罪になる世のルールだと思います。
そうすると不正な富に忠実というのは、世の権威やルールに忠実ということで、法律を違反するようなことは当てはまらなくなります。
法律にふれないように仕事をすることも当然含まれるでしょう。ばれないように隠れて違反するのはだめでしょう。
しかし不正な富では、神に借りを返す=罪を赦すことはできないでしょう。それができるのはイエス様のみです。
結局イエス様を紹介するしかありません。社長の権威で社員に礼拝に行くのをすすめたり、礼拝の後に美味しいランチをおごると言って誘ったり、
お似合いの異性を紹介したり、不純な動機でいいのです。いろいろあるかと思います。似たようなことを使徒パウロは言っています。
『もし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、
なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。』(ローマの信徒への手紙/ 03章 07節)
神は決して犯罪を肯定はしていないのです。不正な富でイエス様に出会う機会を与えましょう。 アーメン
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悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。(コリントの信徒への手紙二/ 06章 10節