主よ、私は疲れます。霊は疲れることはないと思うのですが、昨日夜遅かったことが影響しているのでしょうか、集中力やじっくり物事に構える忍耐力が本日はなかったようです。

 

しかしこれらは肉体とともに、霊魂がばてている感じがします。否、肉体ではない感じもします。しかし私の霊魂は傷ついてはいないようです。これは、どういう状態なのでしょうか。

 

主は言われる、愛する私の息子よ、あなたは疲れている。もちろん肉体によるところが大きい。肉体とは五感を司る器官や脳も含む。霊は疲れないのは、その通りだ。しかし、あなたは何事も肉によってこの世では歩まねばならない。

 

あなたの思いを世ではどうすべきかを魂で感じ、それが脳に伝わるという過程がすべてにおいて存在する。例えば、あなたに肉体がなければ、移動という概念も変わるであろう。

 

世では歩く、車に乗るなどの手段がありそれを魂で指示を出し、脳から各五体にそれが伝わるのだ。

 

主よ、霊、霊魂、魂と使い分けますが、調度いい機会ですので教えてください。

 

主は言われる、霊は天に属するものである。私に属するので霊に何かをできるのは私だけである。悪魔は人の言葉や事象を通して人を傷つけるが、それは魂にである。霊を傷つけることはできない。

 

魂は天に属するものではない。地でどのようにするかを魂は司る。本来は霊の思いを世(物質世界)ではどのように実現していくか、魂は霊に仕え、霊が救われるために、世でそれを実現させるためのものである(人の場合)。

 

故に肉体がなくなり、世に属さなくなれば魂は必要なくなるので、なくなる。神の霊魂、聖霊魂、悪霊魂という言葉がないのは、それらは肉を持たず、物質世界にはいないからだ。

 

傷ついた魂というと、その人の心の傷を指すが、傷ついた霊魂と言うと、傷ついた人そのもということになる。犬や猫にも魂はある。しかし霊はないので、魂は、世を生きるためにだけに働き、感情もそれだけである。

 

だから動物には罪悪感がないのである。罪悪感に見えるものは、自分の主人や恐怖を感じるものの意に沿わなかった行動をとった場合の恐怖心などである。それにより、世で不利になることを恐れるからだ。

 

天に属することのない彼らはそのような行動をとる。最近はやりの『生物学的に』という言葉そのままである。ところで、あなたの疲れた状態について説明しよう。

 

人は今説明したように、行動に移すまでに霊、魂、脳、五体というような工程を経る。また感じるまでには、その逆の工程をたどる。あなたは、肉を持っている限り、肉が疲れれば、この工程が重々しく感じるのだ。

 

それが今のあなたの状態だ。ところで、霊の存在を知らない、または霊と魂の区別ができない人は、どうなるかと言えば、高度な知恵を持った動物に近い行動になる。

 

しかし人には霊がいるので、救いから遠ざかっていることを知り、罪悪感から霊は恐れる。それが不安であり、不満であり、ストレスであり、いらいらであり、焦りであり、貪ぼりなどの姿で人には現れる。

 

世の人を見てみなさい。多くの人は、衣食住に不自由をしていない。それどころか持ち家も内風呂も冷蔵庫もあり、インフラは当たり前にそろい、馬や馬車以上の交通手段もある。

 

警察機構も整っており、治安も良い。この環境は昔であれば、王侯貴族や大名の環境にも匹敵するであろう。しかし、当時の彼らも同様だが、心は不安、不満、ストれレス、貪りなどに満ちている。

 

実は現代人に何が起こるのかは、王侯貴族に何が起こっていたかを調べればすぐに分かるのだ。ダビデやその子たちの間で何がおこっていたか、どうゆう事件が起こっているかを読みなさい。

 

話は戻るが、貪りは不安から来るのだ。何かを集めて蓄えておかねば不安なのだ。しかし、それは見る見るうちになくなったり、腐ったり、盗まれたり、虫が食ったり、錆びたりする。故に一生貪り続ける。

 

だから、私を知り、自分が泉となり、川が流れでるようになれば、満たされる。貪る必要はなくなるのだ。

 

最後に、疲れた時には休みなさい。私もサマリアの井戸で疲れたので休んだのを知っているだろう。

 

主よありがとうございます。休みます。 アーメン

 

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