『一行が(エルサレムに向かって)ベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた』のです。イエスは実際に空腹になったのかもしれません。しかしもう一つの意味は、エルサレムの信仰の足りなさを現しています。

 

この場合、イチジクはエルサレムそのものを指しているとも言えます。イエスは神殿です。エルサレムの信仰の枯渇を感じたのです。『葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。

 

いちじくの季節ではなかったからである。』エルサレムには信仰(実)がありそうでなかったのです。神殿であるイエスは、エルサレムでは(空腹が)満たされないことを預言しているとも言えます。『いちじくの季節ではなかったからである。』

 

当時のエルサレムは、信仰については酷い時期であることを意味しています。『イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。』当時のエルサレムから出るものは悪い物です。

 

律法学者やファリサイ派の教えが拡がることがないことを宣言しているとも言えます。『弟子たちはこれを聞いていた。夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。』エルサレムでは何も実らず、救い(キリスト)は異邦に移ることを預言しています。

 

『翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。』エルサレムがローマに占領されてしまうことを預言的に現しています。

 

この御言葉の間に(マルコによる福音書/ 11章15~18節)にエルサレムの状態を象徴する状態がでてきます。ご覧いただくことをお勧めします。 アーメン

 

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