もちろん、あまりに酷い仕打ちを受けた場合、人は神ではありませんから、一時的に愛が不足気味になることはあるかもしれません。しかし他で補うことなく神から愛がまた沸いてきますから、驚くほど短期間で立ち直ります。
なぜなら、その人は以下御言葉の状態だからです。『あなたがたがわたし(イエス様)につながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもある』(ヨハネによる福音書/ 15章 07節)
または『わたし(イエス様)が父の内におり、あなたがたがわたしの内におりわたしもあなたがたの内にいる』(ヨハネによる福音書/ 14章 20節)神は愛です。しかも無限でありすべての源泉です。無限に湧き出る愛も、こういう人の中には、あるということです。
『愛は造り上げる。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。』このような人の内には神がいることが『あなたがたに分かる。』(ヨハネによる福音書/ 14章 20節)のです。
ヨブ記でヨブを散々裁いた敵とも言えるかもしれない、かつての友人である『テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファル』に対して、ヨブは彼らに何の要求もせずに彼らのために祈たのが以下の御言葉です。
『しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。』(ヨブ記/ 42章 07~08節より抜粋)
『わたしには、律法から生じる自分の義(肉の想い)ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。わたしは、既にそれを得たというわけではなく、何とかして捕らえようと努めているのです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。』(フィリピの信徒への手紙/ 03章 09~14節より抜粋)
愛は律法の完成形でもあり、神の義でもあると思います。聖霊を求めましょう。そして目指しましょう。私も当然賞を得たわけではありませんが、それが天国への道であることは間違いないと思います。アーメン
聖書がなくてもhttp://www.bible.or.jp/read/vers_search.html を検索で簡単に分かち合い
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