最近何かと世間で話題になるのが、遺産相続の問題です。特に、親の面倒をみた相続者に対して、全く見ていない相続者が、法に則り平等の財産を相続することを主張するということです。

 

それがもとで、住んでる家を売らなくてはならなかったり追われてしまうのは、問題が少しずれてしまうかもしれませんが、いずれにしても、酷いと思う人は多いでしょう。これは信者でも未信者でも同様かもしれないような気がます。

 

しかし、主は『互いに愛し合うこと』と『互いに仕え合うこと』を教えられました。それどころか『悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。』(マタイによる福音書/ 05章 39~40節)とまで仰いました。一方的にひどい目にあっても反撃してはならないのです。さらに『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』(マタイによる福音書/ 05章 44節)

 

とまで仰っています。そんなことができるのでしょうか。最近このブログで多用しますが『イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。』(ルカによる福音書/ 18章 27節)イエス様は神だからできるということだけではありません。

 

肉の力ではできないことでも、神によればできるということです。具体的には聖霊により可能な器に変えてもらうということになるかと思います。それは我慢強いのとは少し異なります。文字通り『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れる』器になるということです。

 

愛は造り上げる。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。愛は決して滅びない。』(コリントの信徒への手紙一/ 13章 01・04・08節)さらにヨハネは『愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。』(ヨハネの手紙一/ 04章 08節)

 

『わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。』(ヨハネの手紙一/ 04章 16節)

 

肉による善意には限界があります。しかし神の愛=神から頂く人を愛する力には限界がないのです。肉による善意・善行を否定はしません。しかしそれらは求めます。人を肉で愛したり、善意や善行をしたなら見返りを求めるのです。

 

長くなりましたので、続きは次回へ

 

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