『それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

 

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。』(ローマの信徒への手紙/ 07章 21~25節)

 

パウロもやはり同様のことを言っているのです。キリストによらなければ『五体の内にある罪の法則』から解放されないのです。そこから解放されなければ『死に定められたこの体』なのです。復活し、永遠の命に与ることはできないのです。

 

ところで、なぜサタンや悪霊が、ホラー映画のようにこの世に物質世界に現れて、直接人を襲ったり、危害を加えたりしないのでしょうか。それは神から許されていないからです。サタンが直接的な支配をこの世で行うことを神は許していません。

 

それは人間にあるのです。故に彼らは人を操ってこの世を支配するしかないのです。摂関政治や院政を思い出してください。鎌倉幕府や派閥の領袖が総理の進退を握っていたころを思い出してください。多くは天皇の名や将軍、総理の名を借りて政策は進められます。

 

そして、何かあった時の責任は、天皇や将軍、総理が取ります。しかし、実際政治を支配していたのは彼等ではなく、法王や摂政関白、執権、派閥の領袖たちです。サタンや悪霊はそのような存在です。誰もかれらに政治の権限は与えていません。

 

天皇や将軍、総理の名のもとに、その権限を横取りしている、いわば権限を奪った状態です。しかし法王や摂政関白、執権、派閥の領袖たちは、まだ顔が見えます。故にいつの時代でも何かあると『あいつらが悪い』と憎まれるのは、天皇や将軍、総理自体よりも彼等です。

 

もちろん実行(印鑑やサインを)するという点において、責任は天皇や将軍、総理じたいにもあります。しかしそうせざるを得な状態にしているのは、法王や摂政関白、執権、派閥の領袖たちであり彼らの立場が『それが罪を憎んで人を憎まず』の罪なのです。

 

ここで言う罪は悪です。悪とは『わたしではなく、わたしの中に住んでいる罪』のことです。自分ではしたくないことをさせるもののことであり、それは、実はその人ではないのです。彼らの存在を知り、憎むことで、この故事は実際に生きて働くでしょう。

 

『犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え』(故事ことわざ辞典より引用)という意味も変わってきます。

 

特に『罪を犯すまでには事情もあった』という意味が広がります。そこに自分の思いと思わせる別の霊の囁きが魂に響くのです。魂はそれを自分の思いか見分けることができず、自分の父であるサタンに判断を示してくれるよう相談するのです。

 

サタンや悪霊は盗人です。『盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。』(ヨハネによる福音書/ 10章 10節)彼らは目的を達成するための回答を与えます。しかも理論的に尤もらしくです。

 

物質的や家庭環境などの外的要因は重要ですが、実は、それは悪しきものが入り込んでくる環境を整える要因であることの影響が大きいのです。『悪事を働いてもお前は正しい、当然だ、今までの分を取り返せ』と正当化し太鼓判を押す者がいるのです。

 

もし人を憎むならば、その人の破滅を導くでしょう。彼が加害者であれば、被害者だけでなく加害者も破滅するというサタンにとってはうってつけの結果になるのです。またそういう霊は自分にも存在しています。

 

長くなりましたので、次回に続きます。

 

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