神は呪いの祈りは喜ばれないとある司牧から聞いたことがあります。有名な御言葉に『人を裁くな』(マタイによる福音書/ 07章 01節)とありますが、ダビデは一見すると誰よりも人を裁いているようにも思えます。
今回は、詩編第7編【シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。】を分かち合いますが、特にそのように感じるかもしれません。ダビデが神を義とされるのなら、人を裁いたり呪いの祈りもOKのように感じてしまいます。
しかしダビデも人間です。実際人を呪ったこともあったかもしれません。それは『主の言葉がわたし(ダビデ)に臨んで、こう告げた。『あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。
わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない。』(歴代誌上/ 22章 08節)ダビデの為したことはすべて神の望む所ではなかったことからもうかがえます。ダビデも罪を犯していたのです。
血肉(人)の血を流すことは罪です。こう書いてあります。『人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。』(創世記/ 09章 06節)呪うことも同様なのではと思います。しかし、罪に定めるかどうかは主のみです。
罪を犯すのと、罪に定められることは違います。この世でも罪を犯しても被害者も検察も起訴しなければ誰も罪に定められません。話はそれますが、すべての権威は主から出たものです。もちろん三権もすべてです。
ですから、地で行われる制度や仕組みと天のそれが似ているのではなく、実際は天から来たものに従っているのが世の仕組みであり、似ているのは当たり前なのです。『神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。
権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。(ローマの信徒への手紙/ 13章01~ 06節より抜粋)
では、ろくでもない権威者がいたらどうなるのでしょうか。それは主が裁かれます。実際列王記や歴代誌を見ても神からの啓示のない謀反を起こした者は、非常に短命で終わります。そうではない場合のヤロブアムやイエフは生きている間は咎らしい咎は見当たりません。
話を戻します。詩編7編は実は力強い祈りに使いやすいものかと思います。しかし長くなりましたので続きは次回へ。
聖書がなくてもhttp://www.bible.or.jp/read/vers_search.html を検索で簡単に分かち合い
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