『わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。

 

人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。

 

そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。』(ヨハネによる福音書/ 15章02~07節より抜粋)

 

これは、どういうことでしょうか。信者でも神のために働かないならば天国には行けないということでしょうか。参考になりそうな御言葉はこれかと思います。『種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。

 

ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。

 

ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。』(マタイによる福音書/ 13章 03~09節)

 

良い土地に落ちた種は、百倍、六十倍、三十倍もの実を結びます。では、実を結ぶとはどういうことでしょうか。イエスは説明します。『だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。

 

石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。

 

茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」』(マタイによる福音書/ 13章 18~23節

 

故に実を結ぶとは『御言葉を聞いて悟る人』です。これは、さきの御言葉では『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもある(人)』ということになるかと思います。

 

実は『望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。』という御言葉の条件は『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもある(人)』ということになります。そういう人は自分勝手には何もしないし望みません。

 

『自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。』(ヨハネによる福音書/ 07章 18節)

 

『自分をお遣わしになった方の栄光を求める』のです。そこで、表題の『手は『足の為に』と考えるな』になりますが、長くなりましたので次回に続きます。

 

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