『はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。』(ヨハネによる福音書/ 14章 12~14・16節)
イエスが行われた業は、すべて聖霊によるものであることが分かります。それは『エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
(イエスは言った)「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」』(マルコによる福音書/ 03章22・28・ 29節)という御言葉からも分かります。
また、イエスが父の所に行けば父にお願いして聖霊を遣わすとも思えますが『父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」』(ヨハネによる福音書/ 16章 15節)
キリストのものでもあるのです。ついでに『もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。
そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」』(ヨハネによる福音書/ 10章 38節)聖霊の御業は父の御業でもあるのです。『その方(聖霊)はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」』(ヨハネによる福音書/ 16章 14・15節)
簡単に言うと父が子の内におり、子が父の内におり、父の持っているものは全てキリストのものでもあり、それをすべて受けているのは聖霊様ということです。その聖霊様がイエス様の御名により信者を通して働かれるのですから、できないことはないのです。
逆に言えば聖霊様なくして、自分では何もできないということを知らなねばなりません。肉で行うことは繰り返しになりますが、霊的な本質は殆ど変わりません。例えば一人信徒を増やせば金がもらえるから宣教する人は、神ではなく金に仕えているのです。
その人の信仰は別の方向に行くでしょう。金を出す司牧はといえば、不正な力(この世の力)を(この世の主人である悪魔にたいして)不正に使った不正な管理人の意識があるかもしれません。しかし、信徒を誤った信仰に導いた罪は免れないのではと思います。
やはり目標はパウロのように金銭やこの世の損得抜きにして、宣教せずにはいられないし、しないなら不幸になることですが、それは聖霊によらなければ無理かと思います。
長くなりましたので次回へ
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