もちろん神は律法ではありません。そして、律法は神には必要ありません。神は律法なしでも完全な裁きを行います。しかし人にはそれが出来ないのです。なぜなら自分勝手に判断はできますが、欠けている所だらけなのです。
善悪の判断を自分で出来るようには人は創造されていません。自分の見えるところだけで、また人が見たことを又聞きして、自分の好みや経験などに頼り杓子定規で判断するしかないのです。
神は『主の五つの能力を使うことを許された。主は、六番目として、彼らに知性を分け与え、/七番目として、それらの能力を解釈する理性を/授けられた。
主は、彼らに、判断力と舌と目を与え、/耳と、よく考えるための心とを授けられた。主は、悟りをもたらす知識で彼らを満たし、/善と悪との区別を示された。』(シラ書〔集会の書〕/ 17章 05~07節)
故に善と悪の区別は律法により示されただけで、それに従わなければ人には判断できなかったのです。神はそれが完全にできることからも、律法は人のために、主が愛により与えられたことが分かります。
律法は愛により人に与えられました。それを分かり易くするために神はご自分を父と名乗られたのかもしれません。父は権威であり、親でもあります。親は子を愛します。神の愛は親への子に対する愛と深さは違いますが、それになぞらえると少し律法が見えてきます。
一般的に親が子供をしつけるのは愛ゆえかと思います。どの子が親に忠実であるかを調べる目的でしつけのルールを作る人は多分少ないでしょう。そのルールは、本来、子を迫害するためではなく一人前になってもらうためのもののはずです。
『わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うがわたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。』(出エジプト記/ 20章 05~06節)
これは十戒の一つです。イエス様により真理が照らされ、サタンの唆しにより、主を否み偶像に仕えることで、その罪をサタンにより人は神に訴えられてしまうことや、唆すものを自分の心に受け入れてしまうことが明らかになりました。
そして、受け入れた悪霊は、口伝などにより、その子孫にも多くが引き継がれていき、その罪も同様に引き継がれていきます。『父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う』原因は、多分主が熱情の神であったり、妬み深い神であるからではありません。
父親が、本当は子供たちが不良にならないようにと、怖く厳しく育てても、子供のうちは、怖い厳しい親父にしか見えません。父親も怖く厳しいと口では言いませんが、何かで伝えているはずです。しかし目的は変な道にいかないように愛故にそうしているはずです。
熱情や妬み深いという表現は、人がサタンの罠にはまったり、破滅しないようにするためなのです。実際に呪うのは神ご自身ではなく、神に訴えて許可をもらったサタン悪霊の方が遥かに多く、それを人が受け入れたのが原因かと思います。
長くなりましたので、次回に続きます。
※聖書がなくてもhttp://www.bible.or.jp/read/vers_search.html を検索で簡単に分かち合い
--------------------------------------------------------------------
☆悩み・行き詰まりのある方:メールはこちらへlifetech777@yahoo.co.jp
☆HPアドレス紹介コーナー
・再犯防止と元受刑者支援のNPO法人マザーハウスhttp://motherhouse-jp.org/
◎☆2項目詳細はhttp://ameblo.jp/pahl/theme-10103225398.html
