第一朗読のエレミヤの預言は、何かパウロの預言をしているようです。しかし、パウロは受動的ではなく能動的でした。

 

『主よ、あなたがわたしを惑わし/わたしは惑わされて/あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ/人が皆、わたしを嘲ります。』(エレミヤ書/ 20章 07節)

 

『何とかして(死者の中からの復活を)捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。』(フィリピの信徒への手紙/ 03章 12・14節)

 

『わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり/「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中/恥とそしりを受けねばなりません。』(エレミヤ書/ 20章 08節)

 

『もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。キリストに仕える者なのか。

 

気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。』(コリントの信徒への手紙二/ 11章 16・23節)

 

『主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。』(エレミヤ書/ 20章 09節)

 

『もっとも、わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。

 

しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。)『コリントの信徒への手紙一/ 09章 16・17・19節』

 

エレミヤとパウロは似たような境遇で、似たような行いではなかったのではと思います。しかしかし、神に対する姿勢が全然違いました。

 

パウロに憧れる人のことはたくさん聞いたことがあります。しかしエレミヤはその預言は誰もが関心を示しますが、その神に対する姿勢からかエレミヤのような信仰生活を目指そうという人を私は知りません。

 

そしてパウロは自分でも貫いた姿勢を本日の朗読個所で薦めています。『自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。

 

むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。』(ローマの信徒への手紙/ 12章 01・02節)

 

それを目指して祈りましょう。イエス様に聖霊を求めましょう。アーメン

 

※福音については当ブログ『神からの促しなのかサタンからの唆しなのか』https://ameblo.jp/pahl/entry-12258690116.html

及び170629『聖ペトロ聖パウロ使徒』https://ameblo.jp/pahl/entry-12287835424.html

をご参照ください。

 

※福音マタイ16章21~27節  第一朗エレミヤ20章7~9節 第二朗ローマ12章1・2節

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