当ブログ170308http://ameblo.jp/pahl/entry-12254226293.htmlをご参照ください。
本日は敢えて、170308で扱っていない御言葉に焦点を当ててみます。『何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。
イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。』(マタイによる福音書/ 12章 38~40節)
イエスは善い業を行いました『イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。』(ヨハネによる福音書/ 21章 25節)
イエスが安息日に善い業を行うことで、私が今思い付くだけでも以下のことが現されます。
①イエスが罪を赦す権威を持っていること=神の子メシアであること
②安息日にも神は働いているということ
③安息日は人のために神が与えたものであり、安息日のために人があるのではないこと
ここまででも、イエスがメシアである徴を『世界もその書かれた書物を収めきれないであろう』程行ったことが分かります。しかし、ユダヤ人たちは言うのです、『先生、しるしを見せてください』と。
ユダヤ人たちは悪霊を追い出す癒しの奇跡を行ったイエスに『悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない』(マタイによる福音書/ 12章 24節)と言います。神の御業を見ても、この有様です。
彼らは『目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのない』(イザヤ書/ 06章 10節)人なのです。逆に自分の父である悪魔であれば、悪霊を追い出す奇跡ができるという信仰宣言までしています。
そこでイエスは本日取り上げた御言葉を言います。その内容は弟子たちに言えば『わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。』(ヨハネによる福音書/ 14章 27節)という、平和を与える内容です。
ユダヤ人たちにとってはどうだったのでしょうか。『十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。』(コリントの信徒への手紙一/ 01章 18節)
ユダヤ人たちは『いやされることのない者たち』=『滅んでいく者たち』です。弟子たちをはじめ、信じる者=救われる者にとっては平和=神の力であったでしょう。しかし滅んでいく者にとっては愚かなものであったにちがいありません。
しかし、イエスの十字架の死後、彼らは3日後イエスの復活を知ることになり、彼らにとっても動かしようのない徴となるのです。それでも何とか隠ぺいしようとします。しかし、闇は光を隠すことはできません。逆に光に照らされない闇はないのです。
彼らは神を信じていなかったのです。なぜなら人には隠ぺいできても神に隠せるはずはありません。しかし悔い改めることなく隠ぺいしたからです。彼らが世に仕えるサタンの集いのメンバーであることがここでも明らかになります。
『十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。』福音宣教により十字架の言葉を神の力とする人をどんどん増やしましょう。光が照らせない闇はありません。必ず勝利します。
『このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』(コリントの信徒への手紙一/ 11章 26節) アーメン
※福音マタイ12章38~42節 第一朗出エジプト14章5~18節
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