近頃読んだ本 御庭番耳目抄 | パゲわかめ先生のブログ

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まいまいつぶろ 御庭番耳目抄

 

この本が新聞の書籍広告に出たのは

もうひと月ふた月も前になるだろうか?

 

今回も目にして直ぐに

北海道のアッチェ水素さんに話して

https://ameblo.jp/tsuumintaku

早速千歳図書館にリクエストしてくれたのだが

今回はなぜか かなり待たされて

しかも借りられたのは一番ではなかったらしい

 

それだけ人気が高まっていたのだろう

アッチェ水素さんの前に

既に4人ほど借りていたようだ

 

それに ぼくのブログでも

過去記事で開かれることが多々あった

 

 

 

まいまいつぶろ

 

 

つまり

 

徳川将軍家

 

という大きな貝殻を背負ったカタツムリ

 

 

生まれ持っての障害ゆえ

右半身は麻痺

言葉もまともに発せられない

しかも

長時間尿を我慢することができなくて

彼が座っていた畳と

彼が退座した後には印が残ってしまう

まさにカタツムリが這った後のように

 

 

そんな男が

八大将軍吉宗の嫡男に生まれ

しかも弟は体は丈夫で頭脳も明晰だった

 

 

 

 

そもそも吉宗は紀州の田舎の部屋住みの身だった

江戸の幕閣達にとっては

それだけでもとんでもない出来事で

しかも当時の幕府はとてつもない財政難

だから旧幕閣達は

最初から吉宗を軽んずる気持ちもあった

 

しかし

吉宗の断行した享保の改革によって

幕府財政は急速に立て直され健全化されてゆく

 

そうなると

次は将軍の後継問題

 

吉宗には

享保の改革の後を継いで

それを完結させ発展させるには

嫡子の長福丸こそが相応しいと思えていた

 

けれど

その能力をしかと目にすることがなかった者達には

長子を廃嫡にして次子を立てるべきと見えていた

 

 

 

 

今回タイトルとなった御庭番

 

御庭番とは将軍の御庭の世話役だが

最も将軍の側近くに居たから

将軍の気持ちも手に取るようにわかる

それ故将軍から極秘の任務を任される

すなわち隠密だ

 

なので今回本書では

万里と名付けられた御庭番が主役

 

 

万里は紀州に居た頃からの顔馴染み

紀州では青菜や鮮魚などを担いで売り歩く棒手振り

吉宗の母と共に江戸に入る

棒手振りだったから体は屈強で脚力も並外れていた

それ故 万里を駆ける者

吉宗がそう名付けた

 

 

 

吉宗が嫡子家重に将軍職を継がせるのに

その障害となる者は除かねばならない

 

次子の宗武は田安家に養子に出され

江戸城への出入りを禁じられる

 

享保の改革に大いに貢献した老中首座も

吉宗が大御所に退く時

任を解かれ閉門

 

この者は私心無き故

この采配を不満には思わなかった

自分がずっと家茂を軽んじてきたことは

もっと重い罰にも値すると考えていたからだ

 

 

 

家重の代になってからの最も大きな出来事は

美濃の国 郡上八幡での頻発した一揆と

籠訴と呼ばれた直訴事件

 

江戸城に登城しようとする老中に

門の近くで隠れ忍んでいた者が

老中が籠から降りる隙を狙って

国元から携えてきた訴状を差し出す

 

法度で禁じられているため

それをした者は死罪となるが

命を賭しての最終手段

 

それを重く見た家重は

田沼意次に足高を与えて老中格に任じ

徹底的に調査させ吟味させる

 

老中は大名以上しかなれない役職だったから

足高と言って

臨時に家禄を増やして

禄を大名並みにすることで他から文句を言わせず

格式だけの老中という扱いにしたのだ

 

これによって

郡上八幡を治めていた者が

老中の一人と縁戚であったため

共謀して

年貢の取り立てを変更したのは

幕府の命によるものと謀っていたことが発覚

 

家重はこの老中を罷免

郡上八幡の領主は取り潰し

 

実に見事な解決

 

 

 

田沼意次は大岡忠光と同じ小姓上がり

この二人も気が合って

互いの性格や才覚をも熟知していた

吉宗亡き後

家重の幕政を助けるために

忠光だけでは成し得ぬことも

意次の力も合わせて実現できた

 

 

 

忠光は最後

自分の死期を悟って

職を辞する直前に

家重を軽んずる老中の力を封じるために

田沼の名を借りて

その者に言い渡す

 

その結果は万里の言葉で語られる

 

 

 

本書では前書では希薄だった内容も

万里の口を通して詳しく語られていた

 

ずっと通底して変わらないのは

家重と忠光の厚い友情

それがあっての享保の改革の成功発展

 

 

 

本書はそのタイトル

御庭番耳目抄

という通り

 

御庭番 万里 の目と耳を通して

八代吉宗の江戸入城から

十代家治の将軍就任

九代家重の死に至るまでが

細かく記されている

 

家重の母は若くして亡くなったので

吉宗の母が家重を育てた

家重から見れば祖母に当たるその人は

紀州の田舎の百姓出身で

とても気さくで明るく頼もしい人であった

家重(長福丸)の体のことは良く理解していたから

この子に将軍職を継がせるのは余りに酷なこと

故にこの子は廃嫡として

徳川家は弟の宗武に継がせよ

最後まで吉宗にそう言い続けていた

 

それでも吉宗が家重(長福丸)にこだわったのは

家重(長福丸)の持つ天賦の才にあった

人の心をよく推察理解し

他者に対する思い遣りは誰よりも強い

しかも幕政への理解も誰よりも優れている

 

体が不自由で言葉も発せないから

大岡忠光(兵庫)に会うまで一人の友も無く

有り余る時間を将棋や読書

幕政や各藩の状況などをひたすら学んでいたのだ

 

そんな家重(長福丸)に将軍職を継がせられるとすば・・・

 

 

 

そんな折に現れたのが大岡兵庫だった

この小姓の出現により通詞を得

京の公家から輿入れした比宮(なみのみや)が懐妊して

後継も残せることが解り

吉宗の気持ちも固まった

 

だが 残念なことに

比宮(なみのみや)は死産し

産後の肥立ちも悪く間も無く他界

 

その僅かな期間に

比宮(なみのみや)は京から共に下向した

侍女 お幸 に遺言する

 

私に代わってお前が上様のお子を授かり

その子に十代将軍職を継がせよ と

 

 

お幸はそのことを忠光に相談

二人の計らいで無事十代家治誕生

 

吉宗は家治を大いに可愛がり

父家重に代わって帝王学を学ばせる

 

孫の元服を機に

吉宗は家重に将軍職を譲る

 

 

 

大岡忠光という人は

最後まで誰とも贈答をしなかったらしい

それをしたら

常に嫌疑の目を光らせている幕臣達に

何をどう思われ 吹聴され 陥れられるかわからない

自分の行動で上様の評判に傷を付けてはならない

 

もう晩年にさしかかるある時

妻が旧知の女性の孫から

色とりどりの折り紙で作った十二単の人形を受け取る

 

まだ年端のいかない女児の

他愛もない好意故

これは贈答にはならないと考えて受け取る

 

しかし

その話を聞いた忠光は

それを返しに向かう

 

 

 

これは う~ん と唸ってしまう話だが

忠光はそこまで厳しく自分を律していたのだ

この忠光の忠義心・厚い友情あってこそ

家重は職責を全うできたわけで

忠光の死後 後を追うように死する時まで

きっと満足・幸福だったんだろうな

 

そして

御庭番の万里さんも

その後を追うように命尽きた

 

 

 

前作だけでも

充分に深い感動を味あわせてもらえたけれど

今作が前作を良く説明出来ていて

更に強い味わいをもたらしてくれた

 

この二冊の作品は

まさに

 

大いなる愛と厚い友情の物語

 

そう言える気がする