若い は 馬鹿い | パゲわかめ先生のブログ

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ハンドルネームは塾講師時代の生徒からの呼び名を3種合体
きっかけは元教え子とYouTubeからの勧め
なので記事一覧→テーマ別→創作曲と進んで是非御視聴を
記事内容は詩・随筆他実話創作織り交ぜて多種多様

若いは馬鹿い
そう言っていたのは
確か東京金町の塾で講師をしていた時の
同僚というか先輩だった
当時 司法浪人中だった2歳年上の英語講師

ぼくは数学担当だったから
彼ともコンビを組むクラスもあって
毎週のように酒に誘われて
飲みに行っていた飲み仲間

当時 年齢は30歳少し前くらいだったろうか

ぼくは大学は一浪二留でバイトも幾つかしていたし
彼は早稲田の法学部を中退して
九大の法科卒業後は出光興産に入社して
ニューヨーク勤務とかしていたから
二人ともそんな年齢になっていた

もう一人少し若年の
中央法科卒の司法浪人さんも交えて
飲みに行こう
となって塾から店まで歩いていた時のことだったと思う



若いは馬鹿い



つまりは
若い時って
恐れを知らない と言うか
怖さを知らないから
馬鹿を平気でやれてしまう
そんな言い回しだったような気がする



若いは馬鹿い



それで思い出すのは


以前  近頃読んだ本で紹介した  森のうた

岩城宏之氏と山本直純氏の芸大時代の話
あの話はまさに
若いは馬鹿い そのままの
抱腹絶倒の笑え過ぎてしまう物語だったけど

とにかく
若い頃って
何も恐れるものはないから
と言うか 単に 世間知らず だから
先のことなど
周囲からの視線など
まるで意識することなく

大いなる馬鹿を

真剣に 夢中になってしてしまえるのだ



そうした意味では
若いは馬鹿い
は実に貴重であり
大切にすべきものだと思えてしまう



そう だから
年齢的には もう若くなくなっていても
若い馬鹿さを保っていられることは素敵なことだと思える




ぼくは大学に入って間もない頃
高校時代の友が譲ってくれた3段変速の自転車
それに乗って浜松から京都まで走ったことがある
ぼくの下宿は右京区にあったから
距離にして約250Km

浜松の何処かは忘れたが
夏の日没頃に出発して
金もほとんど持たず地図も無し
それで国道1号線をひた走って
下宿に着いたのは昼前だった

何も考えることなくそんなことができたのは
おそらく その 若さ のせいなのだろうとも思えるが

その話を聞いた塾での教え子は
やはり 大学時代の夏休み
京都吉田山にあった
京都大学の学生寮を出発して
中山道経由でママチャリを転がして
数日かけてぼくのアパートのあった南浦和までやって来た

でも 彼はぼくよりは少しましで
背中に背負ったリュックに
ちゃんと着替えとか寝袋とか入れていたらしい
でも駅のベンチでの野宿で蚊に刺されるし
ずっとリュックを背負っていたから
背中は痛いし
で大変な思いを経験したようだった

そんな経験も
若さ=馬鹿さ のなせる技なのかもね

彼は当時
家は久喜の公団住宅だったから
ぼくのアパートまで来たのは
大いなる回り道
疲れ切った体で
わざわざ数十Kmも遠回りをして会いに来てくれるなんて

つくづく 良い教え子に恵まれたものだ

彼はシャワーを浴びて
ぼくの作り置き料理を食べて
しっかり休息してから
久喜までの道を戻って行った




ぼくは教え子達から
男子生徒達からは
何にでも興味を示す人だ
と言われていたし
女子生徒達からは
子供みたい
とよく言われていた

ある時
一人の女子生徒が持っていたボールペン
先端に花が付いていて
中の芯を押し下げると花が開き
ボタンを押して戻すと花は閉じる

それを見た瞬間

わ〜面白い〜

なんて言って

ちょっとそれ貸して


何度か開閉を繰り返して
開いた花に指を入れて
ぱちっと閉じる


ちょっと痛そうに怖そうにそうすると

教室中が大爆笑



いい大人が何やってんだか・・・・

って感じだったけど



馬鹿さ=子供っぽさ

を失わずにいられることは

とても大事なことに思える




そして 今振り返って考えてみれば
ぼくの周りにいつも人が集まっていたのは


こいつといると
何かとんでもなく面白いことが起きそうだ


そんな風に思われていたからかも知れない