先日母(91)から電話があり、父方の祖父の50回忌だとお寺から連絡があったとの事でさすがに忘れてたが日曜は休みなので母と二人で50回忌法要にお寺まで出向く。
なんか50回忌は故人が所謂「先祖代々」に移行する最後の法要との事でしっかりと念入りに法要していただき、お供えも持たずお気軽に赴いた無作法を反省しきりであった。
以下の記事は随分前に祖父が他界したことを書いたものだが、あれから50年経ったのかと自分がジジイになって唖然とするものである。
後で知ったのだが今私は、祖父がよく散歩に出向いたという二色浜で暮らしている。



私は祖父の死が最初に接した肉親との別れだった。

小6の頃、癌で入院してたおじいちゃん(父方)が今夜が峠だと言うので夕方に弟と病院に面会に行った。
ちなみにその頃は長屋に家族6人(祖父母両親弟)で同居していた。

祖父は大柄で戦前は地元の親分の運転手をしていて満州にも行ったらしい。
兄弟4人(父は長男)を育てたが、覚えているのは口数少なくぶらぶらして祖母によく叱られていた事だ。

何日かぶりに会った祖父は痩せて意識も朦朧としており、孫が来た事を知らされ何か反応しているようでもあったが舌は乾涸びていた。

たしか両親は看取る為に病院に残ったので弟とふたりで歩いて20分程の帰途についた。
ふたりで話しながら肉親が死ぬという事実に子供なりに圧倒されていた。


しかし私は7時30分までに帰ればサンテレビの怪奇映画特集が見られるかもとも考えていた。
当時テレビの特番ではこの手の映画の見せ場を殆ど紹介していた。

「悪魔のいけにえ」という映画には以前から他とは違う禍々しさを感じていたが、淡々としたナレーションで紹介される場面はやはり衝撃的だった。(他の映画覚えてない)
祖父が他界しようとしている時にテレビでこのような不謹慎なものを興味を持って見る事に後ろめたさを感じていた。

翌朝祖父は他界した。
チェーンソーと祖父の病床が記憶に同居した。

数年後「悪魔のいけにえ」をテレビで弟と爆笑しながら鑑賞。
これ以上のホラー映画は今後もない。


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