今日も暑いですね~。今日は早めに目覚めたので、ワンコ達の朝ごはんタイム。
クリスは食べるのが早い!
食べ終わるとウロチョロ~。
食べた後の運動かな。
お互い好きなように軽い運動でしょうか(^^)
さて今朝の朝刊。昨日は一応菅首相と尾身会長の話を聞きました。
で、五輪はエペ?知らな~いが金メダル。連日のメダルラッシュで嬉しいですね(^^)
金メダル数は、この時点で17個。過去最高数になったようで。次世代の活躍は凄いですね~。
僕も走れば早いでふ~。
今、多くの国民が知りたいのは、感染者は増えているけれど重症化および亡くなる人が減っている状況で、どう行動を変えるべきか?では無いのかなぁ~と思いますが、その回答は無くて、同じ事の繰り返し。
僕が昨日間違ったかな?と思った、重症病床使用率も菅首相は「2割程度」と言われてました。
感染症の分類を2類(1類相当)から5類へ下げないのか?
これで全てが解決する筈なのに、記者も質問しない。いつものように感染者数…。
いつまで、熱が出ると「保健所へ連絡」と言う非効率で人命軽視した事を続けるのか? 保健所で目詰まりしているのは明らかです。保健所からかかりつけ医へ戻す。インフルエンザと同じようにする。それだけで解決するのが分かっているのにマスコミも分科会も政治家も言わないのは卑怯で誠実さが無い。
専門家は相変わらず「危機感が社会全体で共有されていない」と言うけれど、若い頃は遊びたいし、お酒が飲めるようになると、酔っ払う楽しさ?も覚えた頃で、無茶をするもんです。
人間を理解していない人。愛がない人。心がない専門家は国民にだけ自粛を強いて、医師会(開業医)には何も言わない。
ただ自粛しろ。ただ酒を飲むな。どんちゃん騒ぎをするな。多数で集まるな。いつまで人として大切なものを捨てて生きろ!と言うのでしょうか。
いつも紹介している、長尾クリニックの長尾先生。イギリスのジョンソン首相のようにリーダーシップ(責任)を取って、菅首相は判断すべきとの事。僕もそう思います。
今が「山場」「正念場」何度聞いた言葉でしょう。昨日もワクチン・ワクチンのオンパレード。ご高齢者への接種で効果が出たのか、武漢ウイルスが弱毒化(感染力は強い)していっているのか? 季節性なども含め考えるべきでは無いのかな?と思います。
「本当に必要ですか?子どもへのワクチン。」
子どもや、まだ未成年のお子様が居てるご両親世代。その世代へ打たないと言うならば、もう来月で54歳の僕もワクチン接種しても良いです。誠実に国民へ正しい情報を伝えるのならば。5類へ下げても接種が必要と感じたならば。こちらも接種する条件を提示する。
今朝も子供たちは鼻までしっかりマスクして部活かな?へ行ったり、遊びに行ったりしていました。あまりにも可哀想です。
まぁ「アメリカごときのワクチンなぞ死んでも打ちたくない」ってのが本音ですが…。
一通り運動すると、おっちんして、玄関を見つめるルークちん(^^)
今年の1月に、文芸評論家の浜崎洋介さんが書いたメルマガ?。一回り近く若い人ですが僕の好きな評論家です。
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この度の緊急事態宣言に際して、やはり言葉を残しておくべきだと思い、久しぶりにメルマガの筆を持ちました。思いは十分に共有できないかもしれませんが、今、目の前で起こっていることの意味を確認し、これからの心構えについて論じておきたいと思います。
緊急事態宣言が出された金曜日の夜、私は仕事終わりの妻と、保育園帰りの子供を連れて、いつものように行きつけの定食屋に出かけました。その時間は、私たち家族にとっては、週末のひとときを仕事や家事を忘れて(私は、家で仕事をするので)、ゆっくり過ごすための時間であり、また、家族との会話を味わうためのささやかな時間です。
そこで、ふと、周りを見渡すと、そこには2、3の家族連れや、恋人、友人などで会食する穏やかな風景があるだけで、どう考えても感染爆発が起こる気配はありません。
が、8時近くなったとき、店員が近寄ってきて、申し訳なさそうに言うのです、「まもなく閉店ですので、今日はテーブル席でお会計をしてもよろしいでしょうか」と。私は「分かりました」と答えながら、しかし、そのとき、すでに心は千々に乱れていました。
その感情について言葉を与えれば、それは、まず一つに、避けようとすれば避けられたはずの「緊急事態宣言」に対する強い強い「怒り」であり、また、そんな不条理な宣言に従わざるを得ないお店と、そこで働く従業員たちに対する「やるせない思い」であり、さらに、しかし、この「緊急事態宣言やむなし」の空気のなかで、宣言に対する怒りをさえ、もしかすると、人々と共有できないかもしれないという「悲しさ」(孤独感)でした。
しかし、考えてみれば、去年から今年にかけてのコロナ騒動のなかで、必ず最後に辿り着くのは、この、どう憤ってみても、その怒りを共有することができないのかもしれないという「悲しみ」の感情であり、また、現状(政治と世間の空気)に対する無力感でした。が、そんな「悲しみ」の感情(分断の感情)こそ、今の政治家たち(菅義偉―小池百合子―吉村洋文)が利用している当のものであり、さらに、そんな政治家たちに大義名分を与えてきた「専門家」(と呼ばれる単なるマッドサイエンティスト=西浦や、そんな「偽物」を盲目的に支持してきた言論人・メディア)の「野蛮さ」を加速させてきたものなのだとしたら、己の無力を承知しても、なお、やはり発言していくべきなのでしょう。
なるほど、大きなオーケストラなら、チェロやバイオリンを一挺抜かしたくらいで、その音楽が決定的に崩れるいうことはないのかもしれない。が、たとえば、チャイコフスキーのピアノ協奏曲からピアノを引いたら一体何が残るのか。そのとき、協奏曲は死んだも同然で、それは、もはや音楽と呼べるものでさえなくなっているでしょう。
それと同じように、それを失ってしまえば、私が私でなくなるという一点が、人には必ずあります。それは、行きつけの蕎麦屋の記憶かもしれないし、挫折の傷を癒しに行った劇場(映画館)の思い出かもしれない。
あるいは、友人と共に見に行ったライブハウスの匂いかもしれないし、恋人とデートをした美術館の体験かもしれない――私にとって、それはまず家族と共に過ごした地元の商店街の記憶であり、20年間以上、かつては学生として、今は教師として読書会を続けて来た喫茶店の記憶であり、その後に議論を交わしてきた居酒屋の記憶であり、顔なじみの店主たちとの暗黙の絆です――。いや、だからこそ、それらの「場所を守る」ことは、そのまま「私を守る」ことなのです。
しかし、今、「政治の無作為」を徹底批判するより先に、「緊急事態宣言やむなし」と正義面で言ってしまえる「大衆」が、これほど多いことを考えると、もはや、日本人のなかに「人」の感覚(コモンセンス=常識)は残っていないのかもしれない。そして、それゆえに、政治家たちの不安商法が、これだけ成功しているのかもしれない。しかし、だからこそ私たちは、人が人であり続けるために、自分が自分であり続けるためにこそ、「お前はお前でなくていい」と言ってしまえる鬼の野蛮さに、その「過剰自粛」の不条理に抵抗する必要があるのです。
私たちは、もっと自分自身の「欲望」(スピノザ)に素直になっていい。他人が何と言おうと「守りたいものは守る」と言うべきなのです。全ての話はそれからです。果たして、「自立」とは、この「欲望の流儀」を守ることではなかったか。「個人の自立」を説くリベラルも、「国家の自立」を説く保守も、そこから始めなければ全く意味がない。
もちろん、できることは限られています。が、全くの無力でもない。それなら、やはり私たちは、私たちが私たちであり続けるためにも、自らの「住み慣れた場所」(エートス―エシック―倫理)を自覚し直し、それについて声を上げていくしかないのでしょう。それ以外に、私たちが、私たちの「自立」を守る術などないのです。
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