タクシーは、2002年から本格的に規制緩和が実施され、同一地区同一運賃や台数規制への規制が緩和された。

私自身、東京23区内のドライバーなので、他の地区の事は詳しくないが・・・

都内では、深夜割増しや遠距離割引き等で、従来の運賃体系から深夜であれば割増率を下げ、遠距離であれば割引き率を上げる、新しい会社が増えている。

ワンコインタクシー等のように、根本的に従来の運賃体系に拠らないタクシーも出現している。

代表的なものとして、個人タクシーが深夜割増料金を従来の3割増から2割増へと下げた為、私のように従来の運賃体系による法人タクシーに乗務する者は、特に深夜の稼げる時間帯に乗車するタクシーの選別を受けている。

また、昨年より大口割引きを行えるようになり、複数の無線組合が大口割引き運賃の導入を行っている。

これら、規制緩和により、タクシー1台あたりの営業収入はダウンし、乗務員の給与も連動して下がる事態を招いている。


このような、規制緩和による乗務員の給与ダウンが、乗客の奪い合いを生み、タクシーの安全を脅かしている。

だから、規制緩和は誤りだ。

このような主旨の訴えを、都内の一部乗務員と作家の佐高信氏がこの春に起こした。


参考)

「規制緩和は安全緩和」と佐高原告  (全自交ホームページより)


規制緩和がタクシー乗務員の収入ダウンを招き、安全運行を脅かしている。

この主張は、一見正しい。

しかし、大きな矛盾を孕んでいる。

その矛盾を解決しない限り、利用者への共感の輪が広がって行くとは考え難い。


例えば、ある業界が、構造的に不況になった時に、国がその業界を支える必要があるのか?

この問いに、先程の論理は答えていない。

また、そもそもある地区のタクシーの台数を国或いは地方自治体が決めて良いのであろうか?

これを規制する事は、それこそタクシー事業をはじめようとする者にとって、職業選択の自由に抵触しないか?

それよりも何よりも、何故このような訴えを乗務員が行い、タクシー会社の経営者は何も言わないのであろうか?


タクシー業界の抱える根本的な問題について、何回かに分けて考えてみたい。


私は、基本的に、規制緩和に反対しない。



ネクタイ業界が、政府の推奨する「クールビス」の「ノーネクタイ・ノー上着」というキャッチフレーズに噛み付いた。

リンクしたニュース記事では触れられていないが、日本ネクタイ組合連合会の会長氏は、某ニュース番組の取材VTRで、

「服装というのは表現の自由であり、政府がそれを規制するようなキャッチフレーズを付けることはおかしい」という主旨のことを述べていた。


会長氏の発言は、服装が表現の自由である、という一面では正しい。しかし・・・

ネクタイを締めない事も自由なんだ、というクールbizの考え方のほうがはるかに服装表現の自由度は高い。

元々、夏場のビジネスシーンでの、室内の冷房の設置温度を上げる事により、環境への付加を下げることを目的としてクールビズは推奨されている。

つまり、目的が達成されればネクタイを締めている締めていないという事象は、瑣末な問題となる。

室内の冷房設置温度が高くなりますよ、その時に、ネクタイを締めるも自由、締めないも自由ですよ、という事であろう。


この目的に、直接噛み付くことはできないから「表現の自由」を持ち出して反発したのであろうが、あまりにもお粗末な反論であると思う。

さらに、そのTV番組で、某解説員が、

「服装表現の自由を冒すような、キャッチフレーズは良くない」という主旨の発言をしていた。

表現の自由に敏感なのは理解できなくもないが・・・

表現の自由を相手に持ち出されると、とたんに弱腰になるのはいかがなものであろうか?


参考記事

<クールビズ>ネクタイ業界、キャッチフレーズに「待った」


よくスーパー銭湯に行く。


子供が湯船で遊んでいたり、タオルを湯船に浸していたり・・・

マナー違反と思われるような事を目にする事も多い。

しかし、この程度(?)は、まだまだ許容範囲。


スーパー銭湯で目にする一番許せない行為は・・・

湯船の中で、タオルを濯ぎそして絞ること。


最初に目にしたときは、その人だけの特殊な事だと思った。

しかし、いい年をオジサンに湯船の中でタオルを絞る輩は多い。


小泉首相を支持してはいないが、一連の問題の中での首相発言で珍しく共感できるものがあった・・・

そう、「どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない」という発言である。

文脈の中で、この発言を捉えると、首相一流の詭弁なのであるが(笑)・・・


この問題は、中国や韓国がどう発言するのかに関係なく、内政問題として考えるべき問題である。


さて、靖国神社であるが・・・

戊辰戦争で官軍として、戦った人を祀ったのがはじまりである。

その後、外国との戦争で国を守る為に戦った人達を祀るようになった。

そのような歴史的な背景がある。


つまり、明治以降の国造りに役割を担うようになるのである。

そして、この時代、靖国神社に祀られることを合い言葉に、国威発揚を行ってきた事も併せて考察する必要があろう。


靖国問題を考えるとき・・・

この役割をどう考えるのか?

祀られる人は、軍人中心であるが、その事をどう考えるのか?

この2つに対する言及は最低限必要だと考える。


ところで、現在の日本人が北朝鮮報道をみたとき・・・

「親愛なる金正日同志」であるとか、「偉大なる将軍様のお陰で」であるとか、このような現地の人達の発言を奇異に思う人は多いのではなかのうか?

靖国神社の担ってきた役割は、この「将軍様」と構造的にどこが違うのか?

現在の北朝鮮に奇異を感じるのと同じく、あの時代「靖国で会おう」を合い言葉戦った人達に奇異を覚える。

もちろん、社会構造がそれに反する発言を許さない時代であったので、そのようにして戦っていった人達を否定はできない。

戦った人達を否定はできないが、役割を否定し2度とそのような奇異な時代に戻らないという決意は必要であろう。

これは軍国主義ではなく、全体主義に対する否定となる。


さらに、国の為に戦う事は重要なのか?という考察を行う。

隣人の為、家族の為という延長線上に国はない事が往々にしてある。

例えば、あなたは会社の為に法を犯せるか?

この問いと、国の為に法を犯せるか?という問いに差異はない。

家族や隣人の為には、目を瞑る事ができる行為も、会社の為となると違和感を感じる人が多い。

しかし、その違和感は国のためとなると感じなくなる人が多い。

これはとても不思議なこと。


さらに、能動的に戦った人を神として祀るという行為は、受動的に死んでいった人々に対する否定につながる。

戦った人は偉くて、戦わなかった人は偉くないのか?

死んだ後に偉さを決める行為を国が行う・・・

このことに違和感を覚えないのか?


しかし、現在の首相が、靖国神社行くというのであれば、間接的にその首相を選んでいるので否定はできない。

そのような首相を間接的であれ、選んでいる事が問題であると考えている。


プロフィールにも記したが・・・

不惑の年を前に会社を潰し、借金のヤマに頭を抱えた日々があった。

現在は、タクシードライバーという、医者と弁護士以外の出身者は存在するという人生の坩堝の中で、ようやく息ができるようになったところである。


気がつけば・・・

借金のヤマ、×1、タクシードライバーと一般的には負組みかもしれない。

しかし、自己の評価は異なる。

それどころか、一般的な勝ち負けの評価自体が誤りだと感じている。


自己にも・・・

一般的な評価基準に従い、勝ちを目指した時期があった。

しかし、ある時からその基準に疑問を抱き、そして一般的な基準から転落してみて初めて見えたものもある。


このblogのテーマは、そこである。

社会的に大きなニュースから、身近な出来事、そしてタクシードライバーから見える世の中の縮図などなど・・・

一般的に信じられているものの可笑しさ、吐かなさを感じてもらいたいと思う。


時には異教徒の声に耳を傾けよ!


by pagan