小泉首相を支持してはいないが、一連の問題の中での首相発言で珍しく共感できるものがあった・・・

そう、「どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない」という発言である。

文脈の中で、この発言を捉えると、首相一流の詭弁なのであるが(笑)・・・


この問題は、中国や韓国がどう発言するのかに関係なく、内政問題として考えるべき問題である。


さて、靖国神社であるが・・・

戊辰戦争で官軍として、戦った人を祀ったのがはじまりである。

その後、外国との戦争で国を守る為に戦った人達を祀るようになった。

そのような歴史的な背景がある。


つまり、明治以降の国造りに役割を担うようになるのである。

そして、この時代、靖国神社に祀られることを合い言葉に、国威発揚を行ってきた事も併せて考察する必要があろう。


靖国問題を考えるとき・・・

この役割をどう考えるのか?

祀られる人は、軍人中心であるが、その事をどう考えるのか?

この2つに対する言及は最低限必要だと考える。


ところで、現在の日本人が北朝鮮報道をみたとき・・・

「親愛なる金正日同志」であるとか、「偉大なる将軍様のお陰で」であるとか、このような現地の人達の発言を奇異に思う人は多いのではなかのうか?

靖国神社の担ってきた役割は、この「将軍様」と構造的にどこが違うのか?

現在の北朝鮮に奇異を感じるのと同じく、あの時代「靖国で会おう」を合い言葉戦った人達に奇異を覚える。

もちろん、社会構造がそれに反する発言を許さない時代であったので、そのようにして戦っていった人達を否定はできない。

戦った人達を否定はできないが、役割を否定し2度とそのような奇異な時代に戻らないという決意は必要であろう。

これは軍国主義ではなく、全体主義に対する否定となる。


さらに、国の為に戦う事は重要なのか?という考察を行う。

隣人の為、家族の為という延長線上に国はない事が往々にしてある。

例えば、あなたは会社の為に法を犯せるか?

この問いと、国の為に法を犯せるか?という問いに差異はない。

家族や隣人の為には、目を瞑る事ができる行為も、会社の為となると違和感を感じる人が多い。

しかし、その違和感は国のためとなると感じなくなる人が多い。

これはとても不思議なこと。


さらに、能動的に戦った人を神として祀るという行為は、受動的に死んでいった人々に対する否定につながる。

戦った人は偉くて、戦わなかった人は偉くないのか?

死んだ後に偉さを決める行為を国が行う・・・

このことに違和感を覚えないのか?


しかし、現在の首相が、靖国神社行くというのであれば、間接的にその首相を選んでいるので否定はできない。

そのような首相を間接的であれ、選んでいる事が問題であると考えている。