20歳の頃はアームレスラーで東京、大阪、関西オープン大会の京都、三重で優勝や準優勝、アームレスリング連盟だけからで無くイベントパークや中日新聞社、雑誌ゴング格闘技等からも賞を頂きましたが、アクション界に専念する為、20歳代後半からアームレスリング界から退き、15歳の頃に初めた少林寺拳法で優秀賞を頂いた頃を思い出し香港アクションの血が流れる倉田保昭アクションクラブ大阪へ入門。

優勝や準優勝で『アームレスラー』や『武道家』と呼ばれのは容易い事だったが、この約35年間、『アクション俳優』って呼ばれたり、認められるのには本当に苦労しました。

また、寄附金により大阪城の記念芳名板に『アクション俳優 アクション映画監督 大東賢』と刻まれ日が楽しみです(^^)

それを考えると『アクションスター』と呼ばれ倉田保昭先生や『香港映画界のレジェンド』と呼ばれる染野行雄先生は凄いなー!

約35年前、僕も20歳代の頃は大阪にアームレスリング連盟が無い頃に、大阪人として各地でアームレスリング大会で優勝や準優勝をしてアームレスリング界に貢献し、大阪府アームレスリング連盟が誕生した時は、僕も理事として当時の理事長の田中さんや副理事長の森本さんに認められ、大阪アームレスリング連盟のイベント活動をした思い出があります。

今はアームレスリング界もレベルが上がり香港に連盟があるくらいで、日本も団体が3団体あります。

今の若いアームレスラーの皆さん、多分知らないと思うけど約35年前に、大阪にアームレスラー大東賢って言うオッチャンがいたんだよ!って知ってくれたら嬉しいなぁ(^^)

今は、まだまだアクション俳優としての功績を築いて、将来はアクション俳優でありアームレスリング界からも若いアームレスラー達からアームレスリング界のレジェンドとして呼ばるように頑張りたいです(^^)

最初から最後までアクション俳優
大東賢